山に遊ぶ「神仙の遊び(シンソンノルム)」

空を仰ぎ、 無限の宇宙に思い馳せ無欲で自由な境地に浸る

ペ国漢


 私 たち は山に遊んで大いに元気です。京都で学生時代を共にした仲間と青春時代を忘れることなく志を高く持ち、壮健な体で朴訥に倦むことなく歩み続け、民族の大事に参加してゆこうという思いを込めて山を歩きます。そして湯に入り、大いに飲んで心を翔ばし遊ばせ、自由の境地でしばし「シンソンノルム(神仙の游び)」にあやかり楽しんでいます。

 山を歩けることは幸せなことだと思います。私は日々の暮らしの中に山歩きがあることで、限りある命をより充実したものにすることができると実感しています。

 山は自然そのもので言葉では言い表せない素晴らしいものがあります。人間の知恵や技術を超えた壮大で悠久な大自然の中にいるとき、人はただの1個の小さな被造物にすぎないことをひしひしと感じますが、こんな時が人間にとって精神が純粋で清浄になっているときではないかと思ったりします。

 山登りは人生そのもののように、重い荷を背負って頂きに続く長い道のりを登り歩きます。だから、いつも一定の苦しみが伴います。しかし、敢えて苦しみや辛さを克服しようとするものには、山はたくさんの褒美を与えてくれます。「なま」苦労があってはじめてなんでもない「生」がありがたく感じられるのです。

 私はテント山行が好きです。山の中で酒が飲みたくて日帰りの山も前夜に発ってふもとまで行き、そこでテントを張り、ささやかに一献傾けたりします。テント1つで山水のただ中にぽつんと身を置くとき、星の輝きはそのままわが心に透り、わが存在全体が山河大地と呼吸をともにしているような気がします。空を仰いで無限の宇宙に思いを馳せ、しばし思索的になり、いい気分になって夜のしじまにぐっすりと寝ます。

 山の中で開放された心境になって仲間と共に酒を飲むことは楽しい。世俗を離れ、無欲で自由な境地にいるときこそ飲む酒はたとえようもなくうまい。世間では捉えがたい人格のふれあいと発見があります。私は仲間があり、酒があり、少しの食べ物があり、山中の言葉少ない語らいがあって、それで幸せです。

 私たち在日同胞は過去、生きるために苦労ばかりしてきました。休みなく働いてきて、困難や逆境に立ち向かってきました。これからも本質的には変わりありませんが、それでもいま少し余裕が出てきて、健康や趣味に心を向けることが、できるようになりました。

 私は、同胞の方々にぜひ勧めたいのが山歩きです。

 山を歩いて悪いことは何ひとつありません。良いことばかりです。苦労ばかりしてきた心身を養うのに最適です。健康で健全で明るく開放的で楽しい。大自然の壮大な光景に感動し、清く健気に咲く高山植物に心洗われ、体いっぱいにさわやかな風を受け、清流にのどを潤し、全身で喜びを感ずることができます。「生きた心地」とは、こういうことかと実感するはずでしょう。いつの日か、祖国故郷の山を巡り歩く夢を抱きながら、日本の四季の山に入ってみましょう。

 「高きに登れば人をしてこころ広からしめ、流れに臨めば人をして意遠からしむ。書を雨雪の夜に読めば人をして神(精神)清からしめ、嘯を丘阜の頂きに述ぶれば、人をして興ゆかしむ」(菜根譚:洪自誠著)
(都岳連八王子山の会所属、高翔会、山岳地域スポーツ指導員)

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