それぞれの四季

無知である前に

金癸任


 友人が定期的に手渡してくれる通信がある。

 誕生して1年になるという「愛知ムジゲ会」発行の通信は、読む者の心に何かを問いかけてくる。

 長男が幼い頃、重度の食物アレルギーのため、除去食をしていたとき「食べる物がなくて可哀想」「うちはアレルギーがなくて良かったけど…」などと言われることが多々あった。私が人格者なら、「相手が悪気があって言っているのではなく、知らないからそういう言葉がでてくるんだ」と寛大になれただろう。でも、残念ながら私は未熟なので、よく傷つき、落ち込んだ。

 しかし傷ついた分だけ人の気持ちがわかるとも思っていたある日、友人から自分の子供が自閉症だと打ち明けられた。かける言葉が見つからず、一緒に泣くことしかできなかった。必死に言葉を考えて、何か話したと思うが、知らずのうちにその言葉で友人を傷つけていたのかもしれない。

 その人のために何ができるのか、無知である前に、知る努力をしなくてはいけないと思った。

 健常と障害の間は紙一重ではないだろうか…。ムジゲ会通信を見ると、健常者と障害者との間に線を引くものがあるとすれば、それが何なのかが見えてくる。いつ、誰にでも起こりうる問題としてとらえ、同胞社会の中で健常児と障害児も線を引かれることなく共に学び、遊ぶことができればと思う。

 未来の同胞社会がどんな社会になっていくのか、子供たちの現在を預かっている親として、何ができるのか、これからも考えていきたい。(主婦)

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