ウリ民族の姓氏−その由来と現在(27)

平山申氏の始祖、 高麗建国の大功臣

種類と由来(14)

朴春日


 申氏の本貫は150余を数え、著姓のうちでも「10大姓」に位置する。そのうち、最も有名なのは、平山(ピョンサン)申氏と高霊(コリョン)申氏である。

 まず平山申氏を見よう。その始祖は高麗建国の大功臣であった申崇謙(シン・スンギョム)である。彼の本名は能山であったが、暴君の弓裔(クンエ)を倒し、王建を擁立した功績によって「崇謙」の名が下賜され、平山を本貫の地と定めたのである。

 その後、彼は後百済軍が新羅の首都・慶州をじゅうりんしたとき、王建とともに高麗軍を率いて敵を駆逐したが、この戦いで壮烈な死をとげた。王建はその死を悼み、智妙寺を建立して申崇謙のめい福を祈っている。

 彼の後孫には著名な人物が多い。わけても李朝中期の申師任堂(シン・サイムダン)は、すぐれた女流書画家であり、詩人であると同時に、「良妻賢母の鑑」と讃えられた女性であった。李朝の大学者・李珥(リ・イ)は彼女の3男である。

 また、壬辰倭乱時の勇将・申★(石偏に立)、李朝末のパンソリ作家・申在孝、歴史学者・申采浩も広く知られている。

 つぎに高霊申氏であるが、この氏族にも歴史に名を残した、秀れた人物が多い。始祖は申成用で、高麗政府の軍器監の検校(監督官)であった。

 その高霊申氏の名を天下にとどろかせたのは、李朝初期の「出将入相」(出陣すれば将帥、凱旋すれば宰相)であった申叔舟(シン・スクチュ)である。

 彼は卓越した学識と文才で世宗(セジョン)以下6代の王君に仕え、対日・対中外交で大きな成果を上げただけでなく、わが民族文字「訓民正音」の創製で重要な役割を果たし、外敵討伐でも勲功を立て、領議政(宰相)を歴任するなど、じつに輝かしい功績を残している。

 だが彼には、首陽大君(後の世祖)の王位さん奪に加担したことで、それに反対して憤死した親友・成三問から「卑怯者」呼ばわりされる 傷 が残った。

 後世の史家たちは、申叔舟が世祖に組したのは、前に2人が中国へ派遣された際、親交を深めたからであろうと推測している。

 ちなみに、申叔舟が通信使として足利幕府と折衝したとき、日本の文人は彼の学識に感嘆し、競って詩文を乞うたという。その記録「海東諸国紀」(岩波文庫他)は史料的価値が高い。

 同じ本貫に有名な画家・申潤福がいる。また中宗時代の功臣・申浚(シン・ジュン)は申叔舟の子である。

 そのほかの本貫と始祖を列挙すると、利川・申★(王偏に眞)、殷豊・申承休、天安・申周錫、鵝州(アジュ)・申英美、信川・申賛、寧海・申得清、谷城・申世達、朝宗・申豪、朔寧(サクニョン)・申允麗、昌州・申甫となる。次回は馬氏と魚氏である。
(パク・チュンイル、歴史評論家)

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