朝大でハンセン病元患者らの講演会−多磨全生園の安述任、 金奉玉さん
「チョソンサラムの人権、 必ず守って」
「らい予防法」(96年廃止)によって療養所という名の強制収容所で非人間的な生活を強いられた同胞ハンセン病元患者が11月26日、東京・小平市の朝鮮大学校で講演をした。同校から車で15分ほどの距離にある東村山市の国立ハンセン病療養所、多磨全生園に暮らす安述任(77)、金奉玉(75)さんだ。2人はハンセン病差別と朝鮮人差別の「二重の差別」をたたかってきた壮絶な体験を語り、「奴隷のような生活は2度と繰り返されてはならない。1人の人間として絶対に人権を忘れないで」と熱く訴えた。
差別多かった朝鮮人
安さんは1924年慶尚北道生まれ。渡日した大阪でハンセン病にかかり、17歳の時に岡山の邑久光明園に強制収容された。60年間の療養所生活を振り返り、「朝鮮人は療養所の中で1番大きな差別を受けた。辛い仕事、大変な仕事はすべて朝鮮人に押しつけられた」と語った。 安さんは療養所で出会った男性と結婚し、「自分の家庭を築きたい」という一心で出産を決意した。しかし、当時療養所では子を産むことが禁じられていたため、逃亡を覚悟で妊娠した。大きいおなかを抱えながら重労働に耐え、妊娠9カ月まで持ちこたえたその時、夫が療養所が勧めた試薬で体を壊し、逃亡が不可能になった。妊娠も発覚し、強制的に堕胎させられた。 「男の子だった。看護婦らは『もう見たからいいでしょ』と目の前でまだ息のある子をうつぶせて殺した。わが子を目の前で殺されても『なぜ殺したのか』という文句1つ言えないこの無念さ、悲しさ。死んでも忘れられない」 入院した夫も間もなく息を引き取った。愛する子と夫を殺された悔しさを何度も口にした安さんは、「国が私を犯罪人として扱ってきたことを絶対に忘れないで」と重ねて訴えた。最後にはウリマルで、「チョソンサラムの青年たちがしっかりして、人間としての人権、生活を自分で守って」と若者たちに希望を託した。 団結した同胞患者ら 全国の国立療養所にいる同胞患者、元患者らをつなぐ「在日韓国・朝鮮人ハンセン病患者同盟」の委員長をつとめる金奉玉さんは、同盟について語った。 60年から1級障害者と認定されたハンセン病患者には国から福祉年金が支給されるようになったが、朝鮮人患者は適用から除外。同胞患者らはこの年に同盟を結成し、厚生省(当時)に対する抗議行動を始める。 金さんは当時、祖国分断によって同胞患者の中に政治的な対立があったものの、「1つにならなければ、力がそがれ、強くなれない。イデオロギーは胸にしまって一丸となり運動を起こした」と語った。総聯の活動家とも、ともにたたかったと振り返った。 講演後、歴史地理学部の学生と記念撮影した2人は、車で療養所へ。見送る学生らに「いつでも遊びに来て」と笑顔で手を振っていた。 「永遠に語り継ぐ」
日本政府の非人間的な強制隔離政策に加え、ハンセン病元患者らを苦しませてきたのは日本社会、同胞社会の偏見だ。講演会を主催した歴史地理学部は、差別の中でも民族、人間としての尊厳を守ってきた同胞元患者の生き様を学ぼう、と講演を企画した。ほかの学部にも参加をよびかけ、会場には200人近い学生、教職員らが集まった。 教育学部3年の李美和さんは、「ハンセン病の問題が大きく報じられていたが、実はよくわからなかった。安ハルモニの怒りに触れ、どんな問題なのか実感できた」という。また、歴史地理学部3年の姜昭浩さんは、「『人権』の重みがずっしりと胸に迫ってきた。僕たちが今後、同胞の人権をどのように守っていかなければならないのかを考えさせられた」。 同学部の金貴東教員(32)は、「差別をたたかった同胞患者たちの歴史を永遠に語り継がねばならない。40人の同胞患者が暮らす多磨全生園を訪ねるなど交流を続けたい」と話していた。(張慧純記者) |