ウリ民族の姓氏−その由来と現在(29)
咸従魚氏の始祖は魚の王?
種類と由来(16)
朴春日
魚氏の本貫数は19であるから、これまでの例からすれば、きわめて少ない方に属する。しかし、その祖先伝承はたいへん興味深い。
主な本貫は、咸従(ハムジョン)魚氏と忠州魚氏で、そのほかは、ここから枝分かれした氏族である。 まず平安南道の咸従魚氏は、東海の江陵(カンルン)から移住したため、江陵魚氏とも呼ばれた。始祖は魚化仁(オ・ファイン)で、その伝承はこうである。 その昔、咸従面の鳳凰里(ポンホワンリ)に、たいへん美しい娘が住んでいた。ある日、旅人のような若者がこの村へ来て、泉のほとりにいるその娘に心を奪われ、「水を飲ませてくれないか」と頼んだ。 「はい」と答えて、泉の水をパガヂ(瓢)に汲んで渡した娘は、初めて見る雄々しい若者の姿に思わず顔を赤らめ、呆然と立ちつくした。 こうして相思相愛になった2人は、夜ごとに逢瀬を重ね、やがて娘は身ごもってしまった。 それに気づいた母親は、「相手はどこの誰だい?」と問いつめたが、娘はうなだれるばかりであった。驚いた母親は父親と相談し、「今度その若者が来たら、この絹糸をそっと足に縛っておきなさい」といいつけた。 つぎの夜、密かに忍んできた若者は、娘と一夜をともにすると、夜明けにどこかへ立ち去った。娘の両親が急いでその絹糸をたどって行くと、それは海の中へ消えていた。そこで力いっぱい引っ張ると、大きな魚が上がってきた。若者は魚の王様だったのである。 こうして結ばれた2人は、その後、多くの子孫を残したが、この一族が村をつくり、魚氏を名乗ったという。そして彼らは、後の世まで鯉を食べなかったという。 以上であるが、不思議なことに、この伝承とそっくりの説話が奈良県桜井市にある。 それは「古事記」の「三輪山伝説」で、美しいイクタマヨリヒメが見知らぬ男と愛し合い、身ごもったのを知った両親が、麻糸の針を男の衣に刺すようにいい、その糸をたどると三輪山の神の社までのび、相手がオホタタネコノミコトと判明したという話である。 これはやはり、古代朝鮮の移住民が運んだ伝承と見るべきで、たぶん江陵辺りから東海を渡り、奈良盆地に定住した魚氏一族が伝えたのであろう。常陸や山城地方にも同系の説話がある。 わが国の金剛山八仙女の伝説が日本の「羽衣伝説」になるなど、そうした例は意外と多い。 忠州魚氏の始祖は魚重翼(オ・ジュンイク)である。彼は池(チ)姓であったが、高麗建国の戦いで勲功があり、王建が魚氏に改姓させたという。理由は、彼の腋の下に魚のうろこ模様があったからだそうで、愉快な賞与というべきか。李朝の功臣・魚有沼はその後孫である。 次回は文氏である。(パク・チュンイル、歴史評論家) |