語り継ごう20世紀の物語
取材秘話
女性たちの苦難の半生、声なき声の
声となって日本の朝鮮侵略を照射
約2年間、20人以上のハルモニたちの人生を聞き書きしてきた。歴史に名をとどめることのないごく普通の女性たちだった。娘として、妻として、母として、働く女として歩んださまざまな女性たちの苦難の物語。
共通のキーワードは、過酷な植民地支配、貧しさゆえの渡日。しかし、ここでも極貧生活を強いられ、呻吟せざるをえなかった。話を聞きながら、何度目頭が熱くなっただろう。目の前のおおらかでたくましい女性が話す「悲惨な過去」。波乱万丈という言葉では言い尽くせない生涯をはるかな記憶を手繰り寄せ、きつい故郷なまりで話してくれた。朝鮮学校を出なかった私にとって、ハルモニたちのお国言葉の微妙なニュアンスは理解できない。しかし、ハルモニたちは取材する私を変幻自在に助けてくれた。「オモニ、今のところ、もう一度日本語で言って」と頼むと今度は日本語で繰り返してくれるのだった。 ◇ ◇ なぜ、女性? それは私が女性であるから。では、なぜ、普通の「偉くない女性」にこだわるのか。それは、尊敬する作家大原富枝さんの「立身出世する女は書けません。弱者である女が、その運命を受け入れて強く生きる姿に引かれます」という言葉を借りよう。やはり、私も強圧を受けながら、決して折れることなく耐え抜き、生き抜く女の生に強く引かれる。 李乙順さん(77)。若い頃不治の病とされていたハンセン病にかかった。 今秋上梓した「私の歩んだ道―在日・女性・ハンセン病」には、一人の朝鮮女性の苦難の歩みが綴られている。読み書きができない李さんの聞き書きを担当したのが、桂川潤さん。おおらかな人間の物語として伝わってくるのは、桂川さんの温かなまなざしによる。三重の苦しみをおわされ、苦しみのどん底から不屈の精神で蘇った李さん。その心をいやし、それを文字にして語り継ぐことで、悲惨な半生を分かち合ったのが桂川さんだった。それが「声なき声の声となる尊い仕事」(香山洋人・聖公会東京教区司祭)だった。 今年、喜寿を迎えた李さんにとって、自伝の出版は「子や孫に伝えていきたい長い間の夢」だった。自身の受難と家族の人生を踏みにじったハンセン病の強制隔離政策の残酷さ。そして、どんなに悲惨な中にあっても、人間としての誇りと希望を抱き、苦しみを乗り越えた李さんの勇気と強さ。その間、李さんはハンセン病国家賠償請求訴訟の東日本訴訟の原告に加わり、今年5月には熊本地裁で国側全面敗訴の画期的な判決を勝ち取った。 本文とは別に、この本のきっかけを作った立教大学山田昭次名誉教授による解説が付され、李さんの歩みの歴史的背景が記されている。この解説によって一人の女性の物語は、日本の朝鮮侵略を照射する歴史の証言として貴重であることが分かる。 山田名誉教授は過去の記憶を再生する2人の作業を「共に学び、成長する過程」であると語る。それに比べ私自身記者として、無念さの入り交じった無告の民の思いを、どれだけ体を張って語り継いで来ただろうかと考えた。 本紙で李さんの記事が掲載された時、桂川さんから電話をいただいた。「李さんに記事を読んであげました。同胞のみなさんに読んでもらい、もうこんなにうれしいことはない、もう思い残すことはない、とまで言っておられましたよ」と。李さんから受け取った歴史のバトン。それは、確かに私たちの手中にあるのだ。 北九州市八幡で会った鄭末順さん(66)。女性同盟支部委員長を15年間務め、現在は顧問。底抜けに明るい人柄で、横にいるだけで元気がもらえる。しかし、鄭さんの記憶も凄惨なものだった。 45年、真夏のギラギラした太陽の下、空襲の幻影におびえながら、9歳だった鄭さんは、オモニと2人で父の棺を乗せた大八車を火葬場まで引いていった光景を淡々と語った。栄養失調でたった1人の弟が死んだのもこの頃だ。 日本敗戦後の混乱期を母と子は、たくましく楽天的に乗り越えてきた。「貧しくて自分の食べ物がなくても、1世のオモニは朝聯の活動家たちを食べさせ、着せて、何よりも大事にした」と回想する。やがて、朝鮮戦争。八幡や筑豊、いや日本全土が「朝鮮特需」で沸いている時、鄭さん母子は「同胞を殺すための武器を送るな」と朝鮮戦争反対闘争に立ち上がっていった。夜陰に乗じての反戦のビラまきやビラ張り。米軍の落下傘の生地でブラウスを作ったり。闘いと暮らしの間には境界線がなかった。 ◇ ◇ 私の会った女性たちの人生航路はさまざま。山口県防府市の姜福心さん(78)は、生涯どれくらい仕事を変わっただろうか。小さい時から機織り、裁縫、洗濯、糊張り、家畜の世話から野良仕事まで身を粉にして働いた。渡日後は塩田で働く「浜子」、土木、飯場、農業、飴売り…そして今はパチンコやスクラップを手広く営む。他のハルモニたちもまた、冷麺、キムチ、焼肉の店を出し、子供たちを育て、組織や民族学校を支え続けた。 祖国を奪われ、絶望的な運命に翻弄されながら、屈せず力強く生きた女性と家族の物語。すべてのハルモニたちが、わが母のごとく、愛しく、美しかった。(朴日粉記者) |