日本の元教師から北海道朝鮮初中高級学校への手紙
小さな連帯一歩一歩刻もう
霜月の候、初雪がとけぬまま庭の所々にマダラに残っております。後片付けをせぬまま畑に立っているトウキビが寒々と目に映ります。まもなく冬ですね。
過日の創立40周年記念祝賀会、ご苦労さまでした。盛会でよかったですね。お疲れのことと存じます。改めておめでとうございますと申し上げます。多くの偏見や差別、母国を離れての生活の上に、この日本の政策や人々の無理解も手伝って、私どもの想像を超えた苦しみや悲しみの中での40年であったろうと、何もなしえないできた私個人の無力さを痛感しつつ、皆様の取り組みの継続と、今日あることに敬意を表します。 今回の40周年記念祝賀会にお招きくださったこと、心よりお礼を申し上げます。児童・生徒の皆さんの一糸乱れぬ一致の美しさ、伸びのびとした声や動作、表情の素晴らしさ、一つひとつに学校が力を入れてきた民族教育――文化・言語・歴史・民族のアイデンティティー等、教育の成果があらわれているものと、しみじみと味わわせていただきました。 それだけに、また、民団以上に総聯の方々の苦難の歴史であったことを偲んでおります。 小生、中学校教員でしたが、定年退職後、3年半になります。退職後は定職を持たず、民主主義の前進のために何かができないかと、江別・岩見沢・三笠・旭川等で依頼に応じて講演などをし、この国の政治の無責任さ、矛盾、歴史認識の不充分さを訴えています。 日本の過去の百数十年、為してきたことの反省も責任も補償も保障もしないできたことへの非を訴えつづけています。 小生に残された仕事は、どんなにササヤカでも、日本がやり残した3つのこと、「沖縄・在日・アイヌ」への皇民化政策・同化政策のツケ、そのことに光を当て、小さな連帯を作り出したいということです。11月27日には美唄の女教師90人に「平和ということ」でお話し、29日にも若い教職員のためにお話します。作られた歴史(偽りの)を覆すことは容易ではありませんが、一歩一歩という思いです。 終わりに先生のご健勝・ご活躍、学校の教職員、児童生徒の皆さんの上に栄光がありますように、民族の統一の近からんことをお祈りし、お礼の言葉と致します。 2001年11月23日 |