地名考/故郷の自然と伝統文化
ソウル−F京畿道の民俗遊び
戦争用の便戦、病除けの橋踏み
司空 俊
橋踏み遊び(1972年)
京畿道やソウルに、便戦(チームとか組という意味)という遊びがある。三国時代から伝わる正月の遊びの1つで、石戦ともいう。
文字どおり部落ごと、地方ごとに東軍、西軍に分かれて石を投げ合い、逃げた方が負けというわけである。また、石のかわりに棒を使ったり(棒戦)、蹴り合うものもあった。 これは単なる遊びというよりも習戦(戦いの練習)、練武(武道の鍛練)の意味合いが濃かったものと思われる。 高句麗伝に書かれたものをみると、すでに国家的行事となっていた。 高麗時代になると正月だけでなく、5月の端午の日(5日)にも行われた。李朝実録の太祖、世宗の時代には、とくに記録が多く見られる。実戦のための実習のように行われたのではないだろうか。男子で石戦に参加するか、あるいは見物しないと、その年の正月を有意義に過ごしたといわれないほど、人気があった行戦であったという。 また、歳時記によると試合はあちこちで行われたが、ソウル・西大門城内の下南村造山のものが有名であったそうである。 日本侵略軍は、このような勇敢な行事は民族心や独立心をあおるというので禁止し、ついに廃止してしまった。 「橋踏み」(踏橋ともいう)というのがある。朝鮮語で橋はタリである。これは足(タリ)と同発音である。それで、正月15日に橋を踏むと、その年は足の病気にかからずにすむというのである。語呂合わせからきた風俗で、健康的な遊びの1つである。 しかも、12の橋を踏むと12ヵ月、つまり1年間、丈夫な足を自慢できるということで、夜になると老若男女を問わず、橋踏みに出かけたというから、さぞかし賑やかなことであったろう。 この風習は高麗時代から始まったらしい。高麗時代には男女がそれぞれ組んで一晩中、タリを踏んだらしい。それが余りにも騒がしいというので、時の為政者は15日には男子だけに、女子は16日にさせたというのである。 李朝時代になると趣が違ってくる。時の支配層は15、16日は庶民がタリを踏むからと、彼らはそっと14日にタリを踏んだとのことである。李朝末期になると、婦女子のタリを踏む風俗は次第にすたれた。 封建時代の男尊女卑の思想は恐ろしいもので、婦女子には必要ないということになったらしい。現代のわれわれには理解に苦しむことである。 「砧」(きぬた)とは布のつやを出したり、やわらかくするために布をのせて打つ木(石)の台のことだ。 昼間に洗ったものを、夜になると重ね折って打つ。朝鮮民族は昔から「白衣民族」といわれたが、朝鮮の女性は嫁入りのとき、この砧だけは必ず持参したという。(サゴン・ジュン、朝鮮大学校教員) |