新世紀へ民族教育を歩く

変わらないもの


 無から有を創り出す情熱―「それを支えたのは、他でもない子供たちでした」。小説家の李殷直さん(84)はそう振り返る。

 1946年2月、朝聯中央(総聯の前身)文化部に設けられた教材編さん委員会の専門委員として、草創期の教科書作りに携わった。日本の植民地政策により、長い間日本語での生活を余儀なくされ、ウリマルで手紙を書くことさえ不自由だった当時、ウリマルを学び直しながら教科書の編さんに取り組んだという。

 そうして民族教育では、祖国解放直後の混乱の最中、本国に先駆け真っ先に朝鮮語の教科書を作りあげた。

 「いじめられ、教師からも差別されて、日本の学校を飛び出した子供たちの、ウリハッキョで学びたいという切実な願いを、抑えることなどできたでしょうか。初の中学校(現在の東京中高)の入学試験に、360人ほどの希望者が押し寄せたのをよく憶えています。何ひとつ充分なもののない中で、ウリエドゥル(私たちの子供)を教えられるという喜びと情熱だけがありました」

 そして今日、半世紀前と変わらぬ姿を見た。先頃東京で開かれた第16回教育研究大会に、全国から集まったウリハッキョの教員たち。学生数の減少に悩む地方の学校が、「少人数だからこそできる、個性を伸ばす教育」についての研究論文を発表するなど、彼らが持ち寄った教育の成果は、世紀をこえた今も、変わらぬ情熱に満ちていた。

 何より子供たちを愛し未来を愛する彼らに、エールを送り続けたい。(姜和石記者)

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