「ムジゲ会」新年会
ボランティア参加した朝大生の感想
ボランティアに参加した朝大生(左から2,4番目) |
ピエロノ風船パフォーマンスに喜ぶ |
「ムジゲ(虹)会」主催の新年会(1月28日、東京朝鮮中高級学校・多目的ホール)には、朝鮮大学校の学生たちがボランティアとして参加、障害児たちをそれぞれ担当し、1日を過ごした。彼らの感想をまとめた。
彼らにも民族の心を/盧志元(教育学部4年制 教育学科1年) ラグビー部の先輩に誘われ、ボランティア参加した。社会福祉関係、とくに障害者の問題については以前から関心があった。 僕が担当したのは、サイコメガロという脳性マヒで、ほとんど寝たきり状態の子だった。初め、正直言ってどう接すればいいのか分からなかったが、彼のオモニが「一方通行の面があるとしても、刺激を外界から与えなければいつまで経っても同じ状態。積極的に接してほしい」と助言してくれた。 一般的に、障害者に対する理解は、「同情」で尽きる面がある。だが、それはあくまでも「健常者が障害者を気の毒に思う」という気持ちにほかならない。大切なのは、「かわいそうという気持ち」ではなく、「その人のためにどうすればいいのか」「何を求められているのか」ということを真剣に考え、取り組んでいくことだと思う。親身になり、たとえ吐いたりしても、その子のために尽くしてあげることではないか。 僕には、自閉症の弟がいる。だから養護学校や各種施設の現状、またどれだけ障害児に接することが難しいかも、ある程度は知っている。 現在、ウリハッキョに障害児を受け入れる環境が、十分に整っているとは言い難い。 だからこそ、同胞障害児も民族教育を受けられるよう、その道の専門家になって、彼らにも民族の心を植え付けてあげたいと思っている。 肌で接すれば心も通う/夫成洲(教育学部4年制 教育学科1年) ボランティアに参加したのは初めてだ。何をしていいのか迷っていると、あるオモニが「誰か力のある人いませんか」と呼びかけた。「中三になる息子は体が結構大きいので、体力のある人に一緒にいてもらえたら」、という理由からだった。 ちょうどその時、男性は自分しかいなかったので、僕が担当することにした。オモニの言ったとおり、僕より10センチは背が高かった。心の中で思わず、「どないしよ」とつぶやいてしまった。 初めは、コミュニケーションがあまりよく取れなかった。一生懸命に話しかけても、知らんぷりし、隣の女性ボランティアになついていた。「なんやねん」と思ったが、自分もその年頃はそうだった、と思うと、なんだかとてもかわいらしく思えてきた。 そんな気持ちで接していると、彼とのコミュニケーションは弾んでいった。僕が手を叩くと一緒に叩いたり、足踏みすると足踏みし、だんだん僕に笑顔を見せるようになった。肌で接してこそ、心も通じるということをしみじみと感じた。 別れの記念写真を撮った後、彼のオモニから「今日は本当にありがとう」と礼を言われた。涙が出そうなぐらいうれしかった。 この日のために毎晩遅くまで続いたミーティング、当日の朝4時までかかったゲーム作りなど、それまでの準備の過程が苦労ではなく、喜びに変わっていったことを痛感した。 今日の経験は、教員を志望する僕の、貴重な肥やしになるだろう。 もっと多くの力が必要/金由里(教育学部 音楽科2年) 「ムジゲ会」の集いには初めての参加だったが、この場が障害児を持つアボジ、オモニたちの不安を取り除き、子供たちが立派な朝鮮人として生きることを学ぶ場であることを知った。 ところどころ日本語にウリマルを混ぜながら話をし、ウリノレを歌い、チャンダンにのって踊る。民族教育をこれまで受けてきた私にとっては、普通と言えば普通かも知れないが、障害児たちにとってはとても貴重な場である。 それに障害児と健常児との交流を通じて思ったことは、みな素直でやさしく、かわいいことだ。少し不便だったりするところはあるものの、みな同じ同胞の子供である。 道を歩いている時、障害を持った子に、普通に優しく話しかけられる人がどれだけいるだろうか。私が出会った子供たちにどれだけ微笑んであげられる人がいるだろうか。 同胞の中にも、障害を抱える子供を持つ家庭が少なくない。そのアボジ、オモニたちの不安を少しでもやわらげるためにも、子供たちが民族の心を学ぶためにも、そして子供たちに少しでも微笑んでもらうためにも、「ムジゲ会」の活動は重要だ。しかし、そのためにはもっと多くの人々の力が必要だ。 卒業後は、今日、出会った子供たちのためにも、音楽療法士を目指したい。 |