在日朝鮮人の歴史Q&A
総聯はなぜ結成されたの?
路線転換方針が契機/民戦時代の誤り正す
総聯結成大会(東京・浅草公会堂)
Q 総聯(在日本朝鮮人総聯合会)はなぜ結成されたのですか。
A 総聯は、在日朝鮮統一民主戦線(民戦)時代の運動の誤りを正す過程で生まれた組織です。民戦とは、朝聯(在日朝鮮人聯盟)の強制解散後、新たに結成(1951年1月9日)された在日同胞の統一的な全国組織です。この組織は祖国防衛、生活権擁護など様々な運動を展開しましたが、運動路線と闘争方法において大きな問題点がありました。 民戦は在日朝鮮人を日本の中の少数民族として位置付け、日本革命の遂行を主要な闘争方針としていたのです。たとえば綱領から「共和国死守」条項を削除し共和国支持をあいまいにしたり、日本の政党が掲げていた反米・反吉田・反再軍備の三反闘争方針を在日同胞自身の闘争と定めていました。また、火炎ビン闘争など暴力主義的な闘争をも展開しました。 このような路線上の問題点を克服する契機となったのが、金日成主席の示した路線転換方針(52年12月2日)です。その内容は、在日同胞は日本革命に取り組むのではなく、民族的権利と祖国統一の実現のために闘うべきだというものでした。 54年八月に出された共和国の南日外相声明が、在日同胞は日本の少数民族ではなく共和国の海外公民としての立場で運動しなければならないということを暗示する内容だったことも路線転換に拍車をかけます。 その後、民戦内部では路線転換の意味をめぐって激しい議論が展開されます。主な論点は運動の転換理由を情勢発展による戦術転換とみるか、指導上の根本的な誤りからの転換とみるかということでした。この議論は55年3月、民戦第19回中央委員会での韓徳銖演説「在日朝鮮人運動の転換について」で、過去の運動は誤りであり、路線転換は戦術転換ではなく従来の路線上の誤ちを正す根本的な転換であるということが明確に指摘されることで終止符が打たれます。 こうして同年5月24日に民戦は解散、翌25日総聯が結成されたのです。(金大遠、研究家) |