朝鮮大学校外国語学部4年−金明秀

住みよい同胞社会を

高齢者、障害者も安心できる


「特別なこと」ではない、ボランティア活動

ハルモニが好きだから

 大阪・「ハーモニー共和」の在日同胞高齢者、障害者家族のネットワーク組織「ムジゲ会」などと知り合い、ボランティアを始めて2年になる。

   「ボランティアを始めたきっかけは?」と聞かれるたびに、僕はこう答えている。「ハルモニが好きだから」。

 幼い頃から父母に叱られると、よくハルモニのところへ逃げ込んだ。学校から帰って来ると、ハルモニのところへ行き、1日あった出来事を話すのが日課になっていた。それは、高級部に進学しても変わらなかった。

 しかし3年生の夏、祖国を訪問している間、ハルモニは以前から患っていた肝硬変が元で、別れを告げることもできないまま、この世を去った。

 それから2年後、朝鮮大学2年生になったある日、1枚の新聞記事が目に止まり、何となく切り抜いて取っておいた。

 そこには、日本社会における同胞高齢者に対する差別的な現況が記されていた。ハルモニのことが重なり、何故か他人事に思えなかったからだ。

 その新聞記事がきっかけとなって福祉に興味を持ち始め、同胞高齢者の現場を訪ね、現状をもっと知りたいと思った。現場を訪ねる中でハルモニ、ハラボジ、そして「ムジゲ会」の子供たちなど、様々な人たちと出会った。その中で学んだこと、考えたことが、今の自分を支えている。

 かといって、特別なことをしてきたという意識はない。ハラボジ、ハルモニの手を取り、話に耳を傾け、うなずくだけの時もあれば、子供たちと歌を歌い、一緒に遊んだりして、僕自身楽しい時を過ごしただけのことなのだ。

サッカーをするように

 ボランティア活動についてまだまだ、「特別なこと」というとらえ方をする傾向がある。

 同胞高齢者や障害者に対する、理解不足、差別や偏見が強い。でも、そうした問題に対処するためにはまず、同胞社会から偏見や差別を無くしていくべきだということを切実に感じている。

 だが、福祉の重要性を知りつつも、第三者的な立場で無関心な態度を示す人や間違った意識を持った人は少なくない。もちろん、中には理解を示す人もいるが、ボランティアという言葉がまだ、根付いていないのか、「自分には縁のないこと」「善良な人がすること」といったイメージを持っている人が多い。

 日曜日にサッカーをするために出かけても「特別なこと」とは誰も思わないし、誰からも「偉い」とは言われないはずだ。なぜならきっと好きでやっているのだろうし、他人もそう思っているからだ。

 なのに、なぜサッカーをするように、誰もが福祉施設に出かけ、同胞高齢者や障害者と接することはできないのだろうか、といつも考えてしまう。

 僕の理想は、誰もが自然に福祉問題に関心を示してくれる、住みよい同胞社会を作ることだ。それを実現させるためにも福祉問題のエキスパートになって、同胞高齢者や障害者をつなぐ役割を果たせたらと思う。

 夢のような話だというかもしれない。でも、同胞社会なら可能なはずだ。これまで、あらゆる差別にも負けず権利を勝ち取ってきた歴史があるのだから。

 そして、そうした1世たちハラボジ、ハルモニから受け取った民族のバトンを胸に、これからの同胞社会を担っていきたい。

 課題は多いが、卒業を目前にひかえた今、専門知識を身に付け、磨き、夢を実現したいという決意と抱負でいっぱいだ。(キム・ミョンス)

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