朝鮮民主主義人民共和国最高人民会議代議員、2重労働英雄

総聯中央 韓徳銖議長逝去

3月3日に総聯葬


 朝鮮民主主義人民共和国最高人民会議代議員で、二重労働英雄である在日本朝鮮人総聯合会中央常任委員会の韓徳銖議長が2月21日午後8時20分、肺炎のため逝去した。享年94歳。総聯中央常任委員会は同日、故韓徳銖議長の逝去に関する訃報を発表した。また徐萬述第一副議長を委員長、許宗萬責任副議長を副委員長とする133人で葬儀委員会が構成された。葬儀は総聯葬として、3月3日午前11時から東京・北区の東京朝鮮文化会館で挙行される。

総聯中央の訃告

 韓徳銖議長は、金日成主席の主体的な海外僑胞運動思想とその指導を輝かしく具現し、総聯組織を建設して社会主義祖国の隆盛繁栄と国の統一、在日朝鮮人運動の強化発展のために生涯を捧げた朝鮮革命の貴重な元老であり、海外僑胞運動の名望な活動家、真の愛国忠臣である。

 韓徳銖議長は、愛国愛族運動に足を踏みいれた時から息をひきとる最後の瞬間まで、金日成主席と金正日総書記に対する限りない忠誠心と祖国と民族に献身的に尽くすことで、総聯の愛国事業に大きな功労と業績を築いた主体的在日朝鮮人運動の開拓者であり、総聯の指導者である。

 議長は1907年、慶尚北道慶山郡で生まれ、1919年の3.1独立運動を契機に愛国思想に目覚めた後、20歳で日本に渡り、苦学のなかで労働運動に参加し、丹那トンネルの労働争議を組織指導したのをはじめ、植民地亡国奴の悲しみにくれる在日同胞の民族的尊厳と生存のために先頭に立ってたたかった。

 議長は、異国の地で労働運動を指導しながらも、いつどこでも祖国の光復のために白頭山と満州広野で抗日血戦を繰り広げる民族の太陽、金日成将軍を戴き、同胞らに民族解放の確信と、金日成将軍を戴き繁栄する新朝鮮の未来に対する希望を抱かせながら、日本の官憲らのたび重なる逮捕と投獄にも耐え、愛国運動を力強く推し進めてきた。

 韓徳銖議長は、主席が祖国を解放すると、在日同胞らを主席の周りに結集させる一方で、関東地方朝鮮人会の責任者として、解放2ヵ月で在日本朝鮮人聯盟を結成するうえで中心的役割を果たし、朝聯結成当時の総務局長を経て議長団で活動した。

 韓徳銖議長は、主席が1946年に送った書簡「在日100万同胞に」と、1948年、朝鮮民主主義人民共和国創建在日朝鮮人慶祝団と接見した際に提示した教示を戴き、在日同胞らを主席と共和国政府の周りに結集させるため精力的にたたかった。

 議長は、祖国解放戦争時にも米日反動勢力の弾圧を阻止し、米帝の朝鮮侵略戦争を反対する活動を果敢に繰り広げ、祖国を守るためのたたかいに在日同胞らを奮い立たせた。

 とくに韓徳銖議長は、米日反動勢力によるファッショ的弾圧が強行され、事大主義、民族虚無主義者らの策動で在日朝鮮人運動が存亡の危機に接した時、主席が提示した主体的な路線転換方針を戴き、それを貫徹するためのたたかいに在日朝鮮愛国者と同胞らの力を1つに合わせ、総聯を結成した。

 主席の独創的な路線転換方針を戴き、左傾的路線の誤りを犯した在日朝鮮人運動を民族的愛国運動に転換させ、愛国愛族愛民のチュチェ思想を指導理念とする共和国の素晴らしい海外同胞組織である総聯を結成したのは、韓徳銖議長の最も大きな功労である。

 韓徳銖議長は、総聯結成以来こんにちまで一貫して在日本朝鮮人総聯合会議長の重責を担い、在日朝鮮人運動を先頭で指揮し、世人が驚き、500万海外朝鮮僑胞が憧憬(どうけい)する、世界海外僑胞運動の先駆的模範を作り出した。

 議長は、総聯結成後46年間、領導者に対する忠実性を愛国運動の要に置き、金日成主席を高く戴き総聯のすべての活動を主席が意図し願うとおりに組織展開し、忠誠の代を受け継ぎ金正日総書記を戴きながら、組織内に総書記の思想体系、指導体系を確固たるものにし、忠実性に基づいた総聯の思想意志的統一と団結を成し遂げるうえでつねに多くの力を注いだ。

 議長は、総聯を中央から地方本部と支部、分会に至る組織体系として整え、階層別団体と言論出版、経済、金融、文化・スポーツ機関をはじめとする事業体などを傘下に網羅した在日朝鮮人唯一の総聯合会を作ることで、在日同胞らを自己の領袖、自己の祖国、自己の民族に無限に忠実な愛国組織として作り上げるうえで大きな貢献をした。

 議長は、総聯組織を発動して広範な同胞らを奮い立たせ、共和国への帰国の実現をはじめ在日同胞の民族的権益を擁護するためのたたかいを組織指導し、過去、異国の地であらゆる屈辱を受け生きてきた在日同胞らが自主独立国家の海外公民としての当然の権利を享受できるようにした。

 韓徳銖議長はとくに、総聯が在日同胞子女らのために初級部から大学までの教育体系を整え、後世に母国語と文字による民主主義的民族教育を実施して、在日同胞社会の愛国の代を立派に受け継ぐようにするうえで特出な功績を収めた。

 議長はまた、精力的な理論活動で在日朝鮮人運動を理論化するうえで貴重な業績を築いたうえ、多くの献詩と200編に上る歌詞の創作で、在日同胞社会で民族文化を守り在日朝鮮文学芸術を発展させるうえで格別な貢献をした。

 議長は、幾度も訪れた内外反動勢力の策動を阻止して、同胞らの真の祖国である朝鮮民主主義人民共和国の周りに固く集結させ、社会主義祖国の隆盛繁栄に貢献する活動で大きな力を注いだ。

 韓徳銖議長は、生涯を民族の願いである国の自主的統一を成し遂げるための活動に捧げ、全組織とすべての同胞らを祖国統一運動へとふるいたたせた。

 韓徳銖議長は、日本の政界と経済界、学界、言論界、文学芸術界をはじめとする各国の著名人士との対外活動を精力的に繰り広げ、共和国の対外的権威を高めるうえで大きく貢献し、在日朝鮮人運動に有利な国際的環境と総聯の合法的地位を強固にした。

 議長はまた、各国で暮らす海外朝鮮僑胞団体の代表との活動を通じて、主席が創始し総書記が発展豊富化した主体的海外僑胞運動思想と、賢明な指導でそれを具現した総聯活動を広く紹介・宣伝し、海外朝鮮僑胞らを愛国愛族の旗印のもとに集結させえるうえで大きく寄与した。

 韓徳銖議長は、気さくかつかっ達な人柄で、つねに同胞らのなかに入って彼らの愛国心を奮い起こし、次代を愛し育てることで、広範な同胞らの尊敬と支持を受けた。

 金日成主席と金正日総書記に限りなく忠実で、総聯の結成と建設、愛国愛族運動を一貫して先頭で指導してきた総聯の議長を亡くしたことは、総聯組織と在日朝鮮人運動にとって多大な損失である。

 こんにち、議長と共に在日朝鮮人運動を開拓してきた老幹部と、議長の指導のもと愛国の代を受け継いできた活動家と同胞、新世紀、在日朝鮮人運動の担当者である新しい世代をはじめとするすべての総聯活動家と各界各層の在日同胞らは、その功績を深く心に刻みながら、議長を失った悲しみに包まれている。

 韓徳銖議長はわれわれのもとを去ったが、祖国と民族、総聯の愛国活動に残した高貴な業績は、在日朝鮮人運動の歴史とともに永遠に伝えられるだろう。

韓徳銖議長の略歴

 韓徳銖議長は、日本帝国主義によって朝鮮半島が亡国の時代にあった1907年2月18日、慶尚北道慶山郡安心面東湖洞で父、韓埼萬先生と母、張内谷女史の長男として生まれた。

 議長は、1919年3月1日の独立運動後、通っていた学校の教員が逮捕されたり、朝鮮総督府の命令によって1年以上の休校を強いられるのを見ながら、幼い心にも植民地亡国の悲哀を痛感。中学校時代に愛国思想に目覚め、日帝の植民地政策を反対する民族独立運動について積極的に学び始めた。

 議長は20歳になった1927年、向学心を抱いて渡日し、働きながら1928年に日本大学に入学した。

 労働運動の過程で熱海―丹那トンネル労働争議を組織指導して懲役2年執行猶予3年の刑を受けたのをはじめ数10回の逮捕や勾留(こうりゅう)にも屈せず、在日同胞の民族的尊厳と生存権を守るためにたたかった。

 金日成主席が祖国を解放するや、議長は限りなく尊敬していた民族の太陽である主席を慕い、在日同胞を主席と祖国の周りに結集させるための在日朝鮮人運動を開始した。

 議長は1945年9月から関東地方朝鮮人会責任者、在日本朝鮮人聯盟結成準備委員として活動、同年十月の朝聯結成で中心的な役割を果たし、結成時には総務局長。文教局長を経て、1947年からは議長団で活動した。

 議長は1949年から祖国戦線中央委員、1957年から現在まで祖国戦線議長団で活動してきた。

 議長は1952年の主席の路線転換方針を受け、当時の民戦指導部にあった事大主義・民族虚無主義者の左傾的路線に反対してたたかい、朝鮮新報の復刊と朝鮮通信社の事業再開をはじめとした組織再建、在日朝鮮人運動を民族的愛国運動に転換するためのたたかいを精力的に指導した。

 そして1955年5月25日、チュチェ思想を指導理念とする共和国の真の海外僑胞組織である在日本朝鮮人総聯合会を結成するうえで、決定的な役割を果たした。

 議長は、総聯結成からこんにちまで在日本朝鮮人総聯合会の議長として活動するとともに、朝鮮大学校学長、同名誉学長、総聯中央学院学院長を兼任した。

 議長は、金日成主席と金正日総書記の厚い政治的信任と配慮により1967年、朝鮮民主主義人民共和国最高人民会議第四期代議員として選出されて以来、こんにちまで、最高人民会議代議員を務めてきた。

 主席と総書記は議長に格別な愛情を注いで大きな政治的信任を与え、国家的な名節と行事のたびに平壌に招き、たびたび綱領的な指導を行った。

 主席と総書記は、議長が総聯活動で積んだ功績を高く評価し、これまで金日成勲章(3回)、金日成賞、金正日総書記の表彰状、共和国労働英雄称号(2回)、祖国統一賞、国旗勲章第1級(10回)、自由独立勲章、共和国創建記念勲章、総聯結成記念勲章をはじめとした国家授勲と共和国院士、博士、教授の学位・学職を授与した。

 総書記は議長の90歳の誕生日に寄せた祝電で、議長は主席の主体的な海外僑胞運動思想と領導を輝かしく具現して総聯組織を建設し、社会主義祖国の隆盛繁栄と国の統一のため、在日朝鮮人運動の強化発展のために一生涯をかけたわが党と革命の貴重な元老であり、海外僑胞運動の名望高い活動家、真の愛国忠臣だと高く評価した。

 議長は生涯の最後の瞬間まで主席と総書記に限りなく忠実であり、総聯組織と在日朝鮮人運動の強化発展のため、祖国の隆盛繁栄と国の自主的統一のために自身のすべてを捧げた。

 議長は逝去したが、総聯と在日朝鮮人運動に残した議長の大きな功労と貴重な業績は、わが愛国運動の歴史と共に末永く輝くだろう。

133人で葬儀委員会

 総聯中央常任委員会は、21日、徐萬述第一副議長を葬儀委員会委員長、許宗萬責任副議長を副委員長とし、総聯中央の各副議長、局長、商工連をはじめとする中央団体、事業体の責任者、各地の総聯本部委員長、朝鮮高級学校校長ら133人で葬儀委員会を構成し、3月3日に東京・北区の東京朝鮮文化会館で総聯葬を挙行するなどの決定を発表した。

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