取材ノート

少しずつだが確実に


 東京が今年一番の大雪に見舞われた1月27日と28日の2日間、朝鮮学校教員の教育研究大会が東京で開かれた。幼稚班から高級学校まで全国の朝鮮学校教員900余人が集まり、20の分科別に計172編の研究レポートを発表し、意見を交換した。

 ある地方で、朝鮮幼稚園の先生をしている知り合いも参加していた。彼女が受け持つクラスには知的障害を持つ児童がいるが、周りの子供たちは自然にその子を受け入れ、普通につきあっているという。もちろん、難しいことや大変なことも多いが、偏見を持ちにくい幼児期から、障害児と健常児が一緒に生活する意味を噛み締める毎日だ。

 彼女は、その児童が朝鮮初級学校に進級して引き続き民族教育を受けることを願っている。しかし、雀の涙ほどの公的助成しかなく、どこも財政が厳しい朝鮮学校。ましてや障害児問題に関心が向けられるようになったのはやっと最近のことだ。そうした児童を受け入れるための十分な設備と人員、そしてノウハウがないのが現実である。

 でも、いくら体制が揃っているからといって、幼児期から育んできた輪から一人だけ離れて日本の学校へ行くことがこの子にとって幸福なことだろうか? このままみんな一緒に進級していく方が、この子本人にとってはもちろん、ほかの子たちにとってもいいのではないだろうか? 悩みは尽きない。

 教研大会2日目の日、会場となった東京朝高では、偶然、障害児を抱える同胞家族のネットワーク、ムジゲ会の新年会も行われていた。五年前に結成されたムジゲ会は、同胞社会に障害者問題という新たな一石を投じた、ある種のパイオニア的存在だ。こうした流れの中で組織的な取り組みも本格化し、朝鮮学校の教研大会でも2年前の前回大会から障害児問題を大々的に取り上げるようになった。少しずつだが、確実に変わっている。(韓東賢記者)

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