それぞれの四季

糸を紡ぐ

李相美


 マルセ太郎氏が亡くなった。ずっと日本人だと思っていて、在日だと知ったのは最近だった。幼い頃テレビでよく見かけたが、その形相がいつも叱られた近所のハラボジに似ていて敬遠していた覚えがある。私がやっと(今思えば本当にやっと)マルセ太郎という人間と出会えたのは、本であった。その後、啖呵切りを芝居小屋で見、彼の姿に懐かしさと感動を覚えた。そして、彼のおハコ、スクリーンのない映画館の観客になれないまま、死別してしまった。何ともやり切れない。彼の芸を、この目にもっと刻みたかった。出会うのが遅すぎた、と実感した。

 人との出会いは、時として意地悪なものである。出会った時には、相手が老いすぎていたり、自分が老いていたり、または若すぎて気付かなかったり。四半世紀と少しを生きて、それなりの「目」ができてくると、世代の差に取り残されることが多々ある。しかしその差こそが、人と人の絆を文字通り「紡ぐ」ことなのかもしれない。私は図らずも、マルセ太郎の服のスソを、いやそのスソのほつれ糸の先っちょをつかんだ。私はその出会いの糸を後世に手渡しつつ、新たな出会いを追い、迎え入れる。そしてまた紡がれるべき糸を手渡す。

 マルセ太郎氏の死を受け入れた今、私はこれからできるだけ多くの糸を紡ごうと思う。それがどんなに汚い色で、どんなに細い糸でもその価値があるのなら、命を懸けて紡ごうと思う。そして、紡がれた糸が布になり、朝鮮半島をはじめ全世界を覆うといい。決して破れない、平和の布となって。(シネマスコーレ スタッフ)

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