済州島4.3事件53周年を迎えて―金泰基

半世紀のタブー解明への動き

歴史意識を揺さぶる


いまだに癒えない心の 傷 

 朝鮮半島の南に浮かぶ火山島・済州島で1948年4月3日、米軍政下で南朝鮮での単独選挙に反対した島民が武装蜂起したことをきっかけに、軍、警察などによる一連の島民虐殺事件が起きた。いわゆる「済州島4.3事件」のぼっ発である。東アジア現代史最大の悲劇の1つといわれている「4.3」事件の際、「3万人から6万人の島民が虐殺され、4万人以上が日本に逃れたという」(米国公文書の秘密文書を調査したブルース・カミングス・シカゴ大学教授)

 この事件は半世紀の間、「共産主義の暴動で討伐は正当だった」とされ、語ることがタブーとされてきた。

 しかし、金奉鉉氏(故人)が日本で記した「済州島人民たちの〈4.3〉武装闘争史」(63年)、「済州島血の歴史〈4.3〉武装闘争の記録」(78年)と、南の作家・玄基栄氏の小説「順伊おばさん」(79年)によって事件そのものに初めて光が照らされ、その後、南朝鮮で民主化と統一運動の高揚とともに事件の全ぼうと真実を明らかにする書籍などが刊行されるなど、改めて事件を見直そうという動きが80年代末から見えはじめた。

 私は、歴史研究者でも文芸評論家でもない。「4.3」を関心領域とする一介の読書家にすぎない。これまで「4.3」関係の書物の中で私が最も感銘を受けたものをいくつか紹介しながら、折りにふれて浮かんだその時どきの考えを述べたい。

身震いするほの衝撃を受け

 大学生の頃、先に上げた「血の歴史」を読んだときの衝撃は今でも忘れることができない。330ページにわたって事件の詳細が手に取るように記されていて、息もつかせなかった。

 「4.3」事件に斃(たお)れた数万の霊に鎮魂の賦として捧げられた同書を読むまで、解放後の現代史について何ら知識を持ちあわせていなかった私は「本当にこんな惨劇があったのか」と、身震いするほどの衝撃を受け、かつ権力者に対して身が震えるほどの怒りを抑えることができなかった。

 その後、大学を出てからも現代史の脈絡から目をそらしてはいけないと思い、故郷で起こった惨劇についてもっと知ろうと、「4.3」前後の歴史を記した書物や文学書を継続して読んでいった。

 南での「4.3」文学の出発点は、何と言っても玄基栄氏の記念碑的作品「順伊おばさん」であろう。

 49年1月、済州島の北村里で500余人の老若男女の住民が軍人によって虐殺されたいわゆる「北村里事件」を主要背景とし、そこに作家の故郷・老衡里での体験を交えながら「4.3」をリアルに描いた作品である。軍人の良民虐殺を生々しく描きその残虐性を告発するとともに、九死に一生を得て生存した「順伊おばさん」の精神がどのように荒廃化していき、死に至ったのかを克明に描きながら、「4.3」が島民たちにどんなトラウマ(心的障害)を残したのかを明らかにしている。読み進むうちに胸が裂けるような思いをしたことを、いまも覚えている。 島民たちの身を刺すような痛み、それは一言でいって暴力に対する恐怖感であろう。それゆえ、半世紀の間、口ある者は口が凍りついて語ることすらできなかったのだ。

 この時期、歴史学者、ジャーナリストたちは玄基栄氏が言う「4.3」の真実の全ぼうを究明する責務を負っていたにもかかわらず、依然として沈黙を守っていた。彼らが「4.3」をテーマとして扱うようになったのは、ある詩人の「筆禍事件」(87年11月)以降からだ。

反米自主の観点で意識再評価へ

 長編叙事詩「漢拏山」を書いた李山河氏(本名・李相伯)は「国家保安法」の「利敵行為」を理由に検挙された。

 「1948年4月3日/米軍政の圧制に反対し/祖国の統一と独立を叫び/済州島人民は一斉に蜂起した…」

 闘争の主体が誰であり、彼(彼女)らが望んでいたのは何であり、それが現在の祖国の統一運動とどう連結しているのかを描ききったこの詩に、歴史研究者たちはどう応えていけばよいのかと、改めて自問せざるを得なかった。

 その後、「4.3」の真相究明を求める動きが本格的に見えはじめたのは、87年の6月人民抗争を経てからだ。

 まず「4.3」を題材にした文学作品が一般の関心を喚起し、続いて済民日報の記者たちによる調査報道・資料発掘(その書物の日本語版「済州島4.3事件」1巻〜5巻が新幹社から出版されている)と、歴史学者などによる専門的な学術論文(「済州4.3研究」歴史批評社)の出現が「4.3」の再照明への道を開くようになった。

 北でも長編小説「漢拏山」(金曉成)、「島の人々」(キム・イル)が刊行されるなど、反米自主の観点で「4.3」をとらえようとする動きが見られた。また、機会あるごとに労働新聞などのメディアを通して社・論説などを掲載し、平壌市報告会も行っている。

 イデオロギーの次元を超えて「4.3」を見直す動きとともに昨年4月、南では真相究明と名誉回復を盛り込んだ「4.3特別法」も施行された。

 だが、聞くところによると受難の体験を語る島民はそう多くはないという。多くの被害者はトラウマから、いまも口を閉ざしたままなのかと疑問を抱かざるを得ない。

 肉親の胴体を輪切りにされながらも生き耐えてきた島民たちの心の傷が癒されるためには、何より彼(彼女)らが自らの体験を率直に語れることのできる通路が、南の社会の中に開かれていなければならない。「4.3」事件とともに、いま明るみに出ている朝鮮戦争時の良民虐殺事件の真相が早く究明されることを望む。と、同時に私を含めて在日の若い世代が歴史認識を培うプロセスの1つとして、「4.3」などの歴史真実を知ることが重要ではないだろうか。53回目の「4.3」を迎えながら、そう思うのである。(キム・テギ 大阪市在住・会社員)

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