古鉄からアルミへの転換が成功

30余ヵ国に年4万台

中古バイク輸出業「オート貿易」社長 金永福さん(福岡県京都市)


金永福さん(39)。2男1女が通う北九州初中にスクールバスを寄贈した


 日本の植民地支配下、渡日を余儀なくされた在日同胞1世の多くは祖国解放(1945年8月15日)後、日雇い労働や古鉄回収などで生計を立てざるをえなかった。そして、少しずつ貯めた金で焼肉やパチンコ店などを起こし、2世の代にバトンタッチした。福岡県京都郡に住む金永福さん(39、京築地域青商会副会長)は、1世のアボジが始めた古鉄業の対象を「鉄」からエンジンに使用されている「アルミ」に広げ、さらにはそのエンジンの本体、「バイク」を修理して、世界に輸出する中古バイク専門貿易会社「オート貿易」まで作ってしまった。現在、スクーターから大型まですべての種類の中古バイクを国内で買い付け、東南アジアを中心に世界30余ヵ国、百余社に輸出している。その数は年間3〜4万台に上り、国内でも有数の業者になった。

朝大断念しアボジの手助け

 通称「ボロ買い」とも呼ばれた古鉄業。47年には在日本朝鮮人軽金属工業組合が結成され、その後全国各地に銅鉄組合などが結成されるなど、多くの同胞がこの仕事に従事した。

 金さんがアボジの古鉄業を手伝うようになったのは、九州朝高卒業後のことである。5人の姉弟と足を患ったオモニ。当然のごとく生活は苦しく、希望していた朝鮮大学校への進学もあきらめた。

 日本人宅を訪ね、使えなくなった鍋や鉄火鉢、農機具や自転車などをもらったり、安く買い取って集め、業者に相場の値で卸し、その差額が収入となる、古鉄業。アボジの見よう見真似で始めたが、「当初は緊張のあまり言葉が出ず、交渉もうまくできなかった。その時初めて、アボジの苦労を身をもって知ることができた」と言う。

 毎日毎日、精一杯アボジを助け働いたが、生活は一向に改善されず、オモニの入院費、弟らの学費を確保することも難しかった。

 そこでふと思ったのが、「商売相手を一般家庭からくず鉄が多く出る工場などに換えれば、もう少し実入りが増え、安定するのでは」ということだった。

 早速、次の日から名刺を作って営業を始めた。当初は相手にもされなかったが、何度も足を運び頭を下げるうちに、熱意が伝わったのか取引先は1つ2つと増え、5年後には数10社を確保するまでに至った。

「売ってくれないか」の一言

 取り引き先が増え商売が軌道に乗り始めた矢先、80年代に入り、鉄の値が下落し始めた。割りに合わなくなり、店をたたむ同胞同業者も少なくなかった。

 何か打開策はないか、とあれこれ考えているうちに、解体に手間がかかるので誰も扱おうとしなかったバイクに金さんは目をつけた。エンジンに使用されているアルミは、鉄に比べ単価が高い。これだと思い、1台から取れるアルミはほんのわずかだったが、回収を続けた。

 そんなある日、トラックにバイクを積んでいると、「売ってくれないか」と声をかける人がいた。海外に中古バイクを輸出する業者に商品を卸している中間業者だった。この取り引きが成功だった。仕事は波に乗り、収入は増えた。オモニの手術も成功、結婚もした。12年前の27歳の時だった。

 金さんの夢はさらに膨らんだ。「直接バイクを輸出出来ないか」。

 以来、バイクの回収・修理に方向転換し、在庫を確保。同時に、タウンページ英語版に広告掲載し、ジェトロ(日本貿易振興会)発行の本に社名登録した。その結果、海外から注文がどっと来るようになった。

 「まさかと思いましたよ。と同時に、会話ができなければと、英会話学校に飛び込みました」(金さん)

朝鮮を中継しロ、中進出も

 東南アジアだけだった取り引き先は30余ヵ国に広がった。取引先は100余社におよぶ。

 現在、最も力を入れているのは、消費者のニーズである「新品同様」仕立て。昨年からメンテナンス部門に力を入れ、板金塗装やエンジンを修理できるエンジニアを雇い、中古バイクの「新品仕立て」に余念がない。その分コストもかかるが、「そこは消費者が第一。他の同業者とわが社との違い」という。

 また、5年前からは業績が認められ、日本の各省庁および地方局で不要となったバイクなどの入札を行える、「全省庁統一資格」も最高のAランクで取得した。

 金さんは、「今後は朝鮮を中継地点にして、ロシアや中国の内陸地にも進出していきたい」と抱負を語っていた。(李明花記者)

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