メディア批評A

相当に混乱した「教科書」報道

繰り返される同一の断片情報

長沼石根


 「教科書問題」が紙面をにぎわせた1ヵ月だった。きっかけとなったのは、2月21日付朝日新聞が1面トップで報じた記事―中韓懸念の「つくる会」教科書―である。簡単に経過をたどっておこう。

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 話題になったのは「新しい歴史教科書をつくる会」(会長=西尾幹二東京電気通信大教授)のメンバーが中心になって編んだ2002年用中学歴史教科書(扶桑社)の検定申請本。予断を排すため、筆者も発行所も明示していないところから「白表紙本」と呼ばれる。もともと、「不公表のはず」(3月2日付読売新聞)の白表紙本が外部に流出、記述に問題があるとして、昨年夏以来、何度かマスコミに取り上げられてきた。批判は多岐にわたるが、ここでは「韓国併合」を中心にみていく。

 3月4日に時事通信が配信した白表紙本(申請本)の記述をそっくり紹介すると――、
 1910(明治43)年、日本は韓国を併合した(韓国併合)。これは、東南アジアを安定させる政策として欧米列強から支持されたものであった。韓国併合は、日本の安全と満州の権益を防衛するには必要であったが、経済的にも政治的にも、必ずしも利益をもたらさなかった。……それが実行された当時としては、国際関係の原則にのっとり合法的に行われた。

 ほかに日本の植民地政策や日中戦争の記述などにも異論が出て、近隣諸国、とりわけ中国、韓国などの「反発必至」と続くのが、前述の朝日の記事である。

 各紙の反応は速く、早々に社説も出そろった。ほぼ二分されたのが特徴である。朝日、東京などは記述内容に力点を置き、例えば2月22日の朝日は、同会の太平洋戦争や韓国併合に関する解釈は「一方的」だとして、「自己正当化の過ぎた歴史観は、国内的にも対外的にも無用のあつれきを生むだけだ」と批判、同時に「検定作業が密室で行われ」ていることにも疑問を投げかけた。

 一方、読売は3月2日、内容よりも中国、韓国の反応に重点を置き、「(国定教科書しか存在しない)中国の国定歴史認識に合わないからといって、日本の特定教科書を不合格にせよと求めるというのは、日本国憲法の基本的価値観である思想・信条・言論・出版の自由への干渉に等しい」ときめつけ、さらに「外圧を利用する形で日本国内の世論を操作しようとする一部マスコミ」が、「歴史を捏造してまで、日本を比類のない悪の権化に貶めようなどというのは、『自虐史観』の極みである」と切って捨てる。

 読売は「一部マスコミ」としたが、それを「朝日」と名指しで批判する産経は、3月6日〈「朝日新聞」の教科書報道〉という見出しのもと、〈朝日は昨夏以来、(8社の歴史教科書のうち)扶桑社の教科書だけに絞って批判し続けている。…「朝日新聞の報道→中国や韓国からの抗議→日本政府の政治介入」という悪循環を断ち切らねばならない〉と真っ向から切りつける。

 双方の主張は、各社の立場の違いを読者に知らしめる、という意味で一定の意義はあったが、じつは相当に混乱しているのではないか。

 今回の教科書問題を私なりに整理すると、当面、@問題の教科書の記述に誤りはないかA中国や韓国の反応は「内政干渉」かB検定制度に問題はないか、に絞られる。これらは本来、別々に論じられるべきだが、読売、産経は意図的と思われるほど混同して扱っているため、読者はつい迷路の中に引き込まれてしまう。「外圧」を利用した報道が過去になかったとはいえない。その分、「外圧」論は俗耳に入りやすいが、検定不許可を求める今回のケースが「外圧」にあたるかどうか疑問だ。

 政治学者の坂本義和氏の言をひけば、「日本が自国の外に出て行った戦争や、植民地支配で甚大な被害をうけた人々が、そうした対外政策についての正確で誠実な記述を要求している」、つまり、彼らは事実関係を問うているのであって、「内政干渉」と言うのは当たらない。

 それにしても、名指しされた朝日はなぜ、きちんと反論しないのだろうか。日本のマスコミは、相互批判を避けている、と言われ続けてきた。これを契機に、相互批判の土俵づくりに努力してみてはどうだろう。

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 一連の教科書報道をみてきて改めて感じたことがある。基礎データがあまりにも少ないことである。何より肝心な教科書の全容を、読者は万分の一も知り得たか。同一の断片情報を元にくり返される記事を読んでいると、まるで歪んだ金太郎飴をなめている感じだった。

 白表紙本は、発行元の扶桑社が東京都内の中学校教師に送り(3月3日付東京)、それがコピーされて外部にもれたものらしい。当然、報道機関はそれを入手している。事の重大性を考えれば、もっと多くの情報を提供すべきだった。読者もその方が、自分で考える材料がふえ、ミスリードされずにすんだ。

 もうひとつ言えば、朝日にしても「中韓」の反応を受ける形でなく、もっと早い段階で、独自の問題提起ができたのではないか。意欲的に取り組んでいただけに悔やまれる。
 各紙が申請本と修正本を対比して紙面に載せたのは3月5日。前述のように、時事配信に拠っている。どこが、変わったか、前掲の申請本と以下の修正本の記述を読み比べてほしい。

 1910(明治43)年、日本は韓国内の反対を武力で押し切って、併合を断行した(韓国併合)。日本政府は、韓国併合が日本の安全と満州の権益を防衛するために必要であると考えた。イギリス、アメリカ、ロシアの3国は、いずれも相手が朝鮮半島に影響力を拡大することを警戒していたので、日本の韓国併合は、東アジアを安定させるとして、異議を唱えなかった。韓国の国内には、併合を受け入れる声もあったが、民族の独立を失うことへの激しい抵抗が起こり、その後も、独立回復の運動が根強く行われた。

 この段階で、問題の教科書は検定審議会から意見のついた137ヵ所すべてについて、修正に応じたという。さて、137ヵ所とは具体的にどこを指しているのか。また、西尾氏の言う「個別部分は屈辱的ともいえる修正も受け入れた。ただマルクス主義史観とは違う我々の考え方そのものは残っている」(3月5日付朝日)とはどういう意味か、読者にはよく分からない。分からないまま、多くの疑問を積み残して、修正本が出ると、報道は収束に向かった。

 いくつか、疑問点を列記しておく。「自虐的」とは具体的にどういうことか、内政干渉・政治介入にどんなケースがあったのか、「近隣諸国条項」は、具体的にどう機能しているのか、「従軍慰安婦」の記述が全体に減ったという実態は…。(ジャーナリスト)

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