第3次総聯故郷訪問団の「5泊6日」


盛大な村人の歓迎/愛知・名東商工会 金芳樹顧問(70)

 金顧問が生まれ育った村は今はもうない。慶尚南道昌原は30年前に 工業団地に変わり、村人たちは村を離れていった。かつての村の跡には、当時を物語る巨木だけが残った。

 しかし、昌原では親せきばかりでなく当時の知り合い、村の老人たち50〜60人が集まり歓迎宴を盛大に開いてくれた。故郷の村はなくなっても人の心は温かかった。花屋を営む弟が住む釜山も訪れ、「外勢に頼らず民族の力で統一を成し遂げよう」と兄弟で誓い合った。

弟たちが兄の役割/総聯大阪府生野区西支部 金栄浩顧問(75)

 55年ぶりの帰郷だった。金顧問はこの間、親せき兄弟のなかで最高齢になっていた。本来自分がすべきことを、残った親せき兄弟が力をあわせ解決したことを知り「頼もしかった」。

 先祖、親せきの墓を18ヵ所まわり、昔の思い出を織り交ぜながら過ぎし日々を墓前に報告した。

 金顧問は、民族が力を合わせ統一を成し遂げるために、再び故郷の土を踏む日を早めるためにこれまで以上にがんばる決意をあらたにしていた。

民族の息吹を確認/総聯静岡県本部 趙貴連顧問(68)

 8人兄弟の4男として日本で生まれ育った趙顧問は、全羅南道順天の親兄弟の墓参りをすませたあと歴史遺跡を精力的に見てまわった。藁葺きの家、昔の城壁が保存された楽安邑城民族村、「春香伝」の舞台である南原、数々の歴史の舞台となった智異山などを訪ねた。青年学校で朝鮮語を学び、書物や資料を通じて民族の息吹を吸収した金さんは歴史の現場でそれを血と肉にした。朝鮮に住む3番目の兄さんと再び故郷を訪ねるその日のために、「一層の努力を傾けたい」と熱く語っていた。(写真左)

「ドラマのようだ」/総聯西東京南支部 李賛康顧問(77) 

 飛行機が成田を離陸しても、李顧問は不安でいっぱいだった。

 連絡を取り合っていた2人の妹と音信不通になってから、30年近くたっていたからだ。果たして妹たちとあえるのか…。

 仁川空港の到着ロビー、夢にまで見た妹たちが待っていた。駆け寄る妹たちを抱きしめ涙が止まらなかった。

 ホテルでは終始笑みを浮かべ、アルバムをめくりながら昔話に花が咲いた。54年ぶりの再会。「父に似ているのですぐに探せた」という妹たちは長く辛い日々も一瞬のうちに忘れたように喜びに溢れていた。

 「ドラマのようだ」。兄の言葉に皆が大きく うなずいた。統一に向けた時代の変化を感じた。

兄の分まで余生を統一に/総聯西東京中部支部 李容極さん(74)

 
57年ぶりに故郷、慶尚北道安東で4人の弟たちに会った李さん。初めて会った弟たちもすぐにうちとけた。村の人々もこぞって歓迎をしてくれたという。そんななか、村の老人が「兄さんを置いてなぜひとりで来たのか」と李さんを責めた。

 兄のヨンウクさんは、日本でともに苦学をし、解放後は民族教育の発展のためにともに働いてきた。しかし去年、故郷の土を踏むことなく亡くなったのだ。故郷を訪ねた喜びのなかでも、それが唯一の心残りだった。歴史的な故郷訪問・兄の分まで余生を統一のためにささげる決意を固くしていた。

平壌で作った韓服で墓参り/金剛保険兵庫支社 徐元洙顧問(76)


 68年ぶりの故郷訪問に、徐顧問は韓服を着て空港に降り立った。還暦のとき、平壌で作った思い出深い服だ。墓参りの時も韓服を着た。胸を張って故郷・慶尚南道金海を訪問できるのが夢のようだった。

 解放前、「治安維持法」でとらえられ、獄中生活もした徐顧問は、解放後「4.24教育闘争」、帰国実現運動などいつも、祖国と民族のために全力を尽くし、その記録を15万カットの写真に残した。

 今回の訪問でも意欲的に写真を撮り続けた。

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