ウリマルとトンポ社会―介護の場で 1
戻った1世の笑顔
話を聞いてくれるんがいる
ウリマルの生活の中ですっかり元気
になった李壬洙さん(左)と、李さんにハルベの
姿を重ねる介護職員の呉純愛さん(京都市の「エルファで」)
私たちの言葉、ウリマル。時代の流れとともに、1世の味のあるサトゥリ(方言)を聞く機会は減り、ウリマルが飛び交う光景も珍しくなった。しかし、ウリマルは同胞社会を形作った原点。さらに民族が自主的に統一を遂げることをうたった昨年の6.15共同宣言は、統一への期待と同時に、ウリマルの持つ力を改めて私たちに問いかけた。世代を越え、その「原点」に立つ人々を追った。(張慧純記者)
朝鮮学校卒業生 「私にしかできないこと」 「死にたい」が口ぐせ そんな李さんが同胞高齢者を対象に今春、京都に開設されたデイサービス施設「エルファ」に通いだしてから、その口癖が聞かれなくなった。 日本の植民地支配下、異郷の地での生活を強いられ苦労を重ねてきた1世。しかし、年金は支給されず、言語、風習の違いから日本の老人施設にもなじめない。「エルファ」はそうした1世に穏やかな老後を、との思いから京都コリアン生活センターが開設した。 職員は全員が同胞で、朝鮮語が飛び交い、食卓にはキムチが並ぶ。壁のあちこちには故郷の風景画。毎日数人の同胞高齢者が訪れ1日を過ごす。 李さんは、解放前から民族運動に一生を捧げた夫を支えながら五人の子供を育てた。「エルファ」に通い出してから1週間、李さんは自分が歩んで来た道をウリマルでひたすら話し続けた。同じ話を繰り返すことがあっても、介護職員らは手をさすりながら、じっと聞き続けた。 「『ご主人さん、どこに行かれたんですか?』。警察が夫を捕まえようと家に押しかけてきてはバカ丁寧な口調で聞くんだよ。大声出して追い返してやった」 大きな手ぶりを加えながら解放前の民族運動の現場を話す。「現役」をほうふつさせる口ぶりだ。 その光景を目にしながら、「話を聞く人がいる。それだけで癒されるんですね」とヘルパーの申椿花さん(45)。日を追うごとに李さんの表情は和んでいった。 呉さんには、「エルファ」に来る1世と重なる人がいる。3年前に亡くなった祖父だ。地域で総聯の分会長などを務めたハルベ(祖父=ハラボジ、慶尚道の方言)を呉さんは大好きだった。 ある日、ハルベは脳溢血で倒れた。アルツハイマーも患っていたことから、病院をたらいまわしにされ、家族が必死の思いで探し当てた病院で治療を受けたが、症状はかんばしくなかった。記憶は途切れがちで表情も暗かった。ベッドに横たわるハルべを見ながら呉さんは考え続けた 「何をしてあげられるだろう…」 「そうだ、音楽だ!」 呉さんはアリランなど、ハルベの知る朝鮮の民謡を聞かせた。すると、日頃こわばっていたハルベの表情が穏やかになり、チャンダンに合わせて手を振った。 「その人を思う気持ちが最高の看病になる」 ウリノレ(朝鮮の歌)がそのことを教えてくれた。 それから福祉の世界へどんどんのめり込んでいった。大学の授業で、介護の実習へ行ってもハルベら1世の姿が目に浮かんだ。 「言葉に出来ない深い傷を負った一世。その傷を芯から癒すことが出来ないだろうか」 音楽を通じてそのような仕事をしたいと思った。 「エルファ」の開設と卒業の時期が重なったことに「何かの縁を感じる」。 呉さんの仕事は、利用者がリラックスできる音楽を作ること。利用者の反応を探りながらの試行錯誤の日々が続く。 最近、体操用の歌を作った。最初は日本語の歌だったが、なんとなくしっくり来ない。そこでハルモニ、ハラボジが一番、落ち着いた表情を見せるウリマルにしよう、と職員がウリマルで詩を作り、呉さんが曲をつけた。 済州道の方言と格闘 生野区という土地柄、同施設の利用者の半数は一世同胞で、なかでも済州道出身者が多数を占める。三世の金さんにとって、一世のウリマル、まして済州道の方言を聞き取ることは簡単なことではない。それでも務めてウリマルで話しかけるのは、「心を通わせたいから」だ。 ハーモニーは病院と家をつなぐ中間施設。利用者の中には痴呆が進み、日本語を忘れ、ウリマルしか話せない同胞もいる。 「ウリマルを話せる自分にしか出来ないことがここにある」(金さん)。 14年間の民族教育を通じて体得したウリマルが人、それも同胞のために生かされる実感、充実感。金さんの瞳はきらきらと輝いていた。(次号から社会欄に掲載します)。 |