ウリマルとトンポ社会―民族教育の場で 2
正しく楽しく教えたい
通じてこそ≠Q3歳教員の格闘
「子供の感性は新鮮。この時期に正確なウリマル
を教えてあげたい」と話す金代誠先生(神戸初中で)
言語環境広げ、動機づけを
ウリマル改造計画 初級部6年の教室をのぞくと、分数の掛け算に取り組む子供たちが担任の金代誠先生(23)に質問を浴びせていた。金先生は質問に答えつつも、「スジアンタじゃない、スジアンヌンダ、原形はそのまま使わない!」と言った具合に子供たちの言葉遣いに厳しいチェックを入れていた。 「同じマルでも、馬のマルと言葉のマールはイントネーションが違う。金先生が教えてくれました」と張賢淑さん。金先生は、学校中でウリマルに厳しい先生で通っているようだ。 「初級部の段階で口の筋は固まってしまう。それまでに正確な発音と言葉を身につけさせたい」 担任になって間もないが、金先生の頭の中にはすでに子供たちの「ウリマル改造計画」が描かれている。課題は@朝鮮語にない間違った単語、表現、助詞が多いA朝鮮語と日本語を混ぜて使うB動詞の原形をそのまま使う―などの克服だ。 1学期中に言葉遣いを直し、その後、会話能力の向上に本格的に取り組む。2学期には語尾を口語体に直し、3学期は会話のバリエーションを増やして、「最終的にはウリマルで会話をする喜びを与えたい」(金先生) 通じなかった原体験 大阪朝高に通っていた頃、市内の工事現場でバイトをしたことがある。その初日。ほこりっぽい工事現場からウリマルが聞こえた。南朝鮮から来た労働者たちだった。思わずウリマルで話しかけたが、どうしたことか通じない。聞き取れない。ショックだった。 それから、幾度も工事現場を訪れては、労働者の口からこぼれる味のある表現を盗んでは使った。最初に話しかけた時、通じなかったのは、語彙(い)数の不足とイントネーションの違いだと気付いた。正確なウリマルを学ぶ必要性を痛感した体験だった。 朝鮮大学校師範学部に進学後もウリマルへのこだわりは続いた。教員に勧められて、長編小説の「三読」を始めた。1度目は意味がわからない単語に線を引いて単語帳をつくり、2度目は単語帳を見ながら、3度目は通読した。 世代交替が進むにつれ、1世の味のあるウリマルを聞く機会が減った。同胞社会でウリマルが行き交う場は朝鮮学校だけといっても過言ではない。 金先生は、学校生活における会話、すなわち口語教育を重視し、ウリマルの能力を高めて行こうと考えた。これは各地の朝鮮学校で取り組まれていることでもある。 その答えが冒頭の「改造計画」だった。スピーチ大会、会話教室などにも取り組み、ウリマルを話す楽しみも育むように務めた。子供たちが自分の言葉をまねるので、夜には語学教室に通い、力をつけた。 壁にぶちあたったことがある。いくら味のあるウリマルを教えても子供たちが使おうとしないのだ。 その理由は、どんなおかしい言葉でも、それが通じてしまうことにあった。そこから「じょうずになりたい」という向上心は生まれない。足りないものは「動機」、その動機を生む言語環境だったと気付いた。 釜山ハルモニの涙 そこで企画したのが大阪・御幸森のコリアタウン買物ツアー。学校以外の空間でウリマルを使う体験を試みた。店の人に口語のウリマルで話しかけ、朝鮮のおかずを買うことを子供たちに課した。 最初は緊張気味だった子供たちが、言葉が通じるや笑みを浮かべるようになった。ウリマルを話す子供たちの姿が珍しいのか、話しかけてくる人もいた。おまけしてくれる店主もいた。 そんななか、1人の老婆が子供たちに近づいてきた。釜山から来たという老女は子供たちに「韓国から来たのか?」と聞いた。 「いいえ、日本で生まれました。朝鮮学校で学びました」 その瞬間、老婆の目から涙がこぼれた。「えらい、えらい」と子供たちから目を離さなかったという。 言語環境を広げ、学ぶ意欲をわかせる。何より、話す喜びを与えることが子供たちのウリマル向上に欠かせないと話す金先生。 今後は保護者たちにもウリマルを教えたいと思っている。 「布団を敷く、食事をするなどの生活用語は学校で教えても使う機会がない。オモニ、アボジが使えばウリマルにもっと親しむはずです」 (張慧純記者) |