19全大会迎える総聯@

Q結成までの経緯?

A祖国と連携し祖国のために


総聯中央総本部(東京・八重州口)

路線転換方針をうけて結成された総聯(1955年5月25日)

路線転換方針が契機に

 今月25、26の両日、第19回全体大会を迎える在日本朝鮮人総聯合会(総聯)。総聯はどのようにして結成され、どのような活動を繰り広げてきたのかなど、これまでの道のりをQ&Aでひもといてみる。(5回連載)

  1945年8月15日、わが民族は日本の植民地支配から解放されましたが当時、どのような同胞組織が結成されたのですか。

  解放を迎え、同胞たちは喜びと希望に胸膨らませました。しかし帰国問題、戦時中に強制連行した日本の企業からの補償問題など緊急に解決を要する問題も多く抱えていました。こうした問題を解決するために、全国各地に次々と同胞組織が作られました。そしてそれを1つにまとめるものとして、10月15日に在日本朝鮮人聯盟(朝聯)が結成されたのです。朝聯は、祖国建設に貢献し、世界平和を維持し、同胞の生活安定をはかることなど6項目の綱領を掲げて活動しましたが、朝鮮戦争をもくろんでいた米国の指示によって、49年9月、強制解散させられました。

  朝聯の解散後、どうなったのですか。

  51年1月9日に在日朝鮮統一民主戦線(民戦)が結成されました。しかし、その運動路線と闘争方法には大きな問題がありました。というのも、在日同胞を日本の中の少数民族と位置づけ、日本革命の遂行に主力をおいたからです。火炎ビン闘争など暴力的方法もとられました。

 このような誤りを正す契機になったのが、金日成主席が示した在日朝鮮人運動の路線転換方針(52年10月2日)です。その内容は、@在日同胞は日本に住んでいるが、日本の革命のためではなく、祖国のためにたたかわなければならないA在日朝鮮人運動は、祖国の指導と祖国との緊密な連携のもとに進めなければならないB在日同胞は、自身が主人となって愛国運動を展開しなければならない――というものでした。

  総聯の結成について教えてください。

 A 55年3月11〜12日に開かれた民戦第19回中央委員会は、路線転換方針を実現するうえで重要な契機となりました。

  「在日朝鮮人運動の転換について」と題して韓徳銖氏(総聯中央議長、今年2月21日逝去)が演説し、@民戦の運動は誤った方向で行われたAこれからの在日朝鮮人運動は、路線転換方針に従わなければならず、これは情勢発展による「戦術転換」ではなく、「路線転換」である――などの点を明らかにしました。

 同年5月24日、民戦第6回臨時大会で解散が決定されました。そして、5月25、26の両日にわたって東京の浅草公会堂で総聯結成大会が開かれたのです。

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