春・夏・秋・冬

 この春からチャンゴ(長鼓、朝鮮の太鼓)を習っている。動機はいたって単純。何か一つぐらい、みんなの前で披露できる芸を身につけたかったからだ。しかし、これが意外と面白い。いまや週に1度の練習は楽しみのひとつである

▼とはいえ、チャンダン(拍子)の独特のリズムを身につけるのはとてもむずかしい。いままで、セッマチチャンダン(3拍子)、クッコリチャンダン(4拍子)を習ったが、例えば同じ3拍子でも西洋のワルツとはまったくニュアンスが異なる。同じ3拍子でも、「アリラン」に合わせられるものとそうでないものの違いというか。その「味」を体得するのには相当時間がかかりそうだ

▼しかし、チャンダンに合わせて自然に体が動き出したのには自分でも驚いた。先生は「昔から朝鮮民謡に親しんでいたからではないか」と言う。確かに、初級学校でカヤグム(朝鮮の琴)を習っていた。家でも学校でも朝鮮民謡には親しんでいた。そういえば母が聞かせてくれた子守唄も朝鮮のものだった

▼9日付から始まった連載「ウリマルとトンポ社会」。その記事の中でこんなエピソードが紹介されている。アルツハイマーを患っていた同胞高齢者が脳溢血で倒れた。病院で治療を受けたが、記憶は途切れがちで表情も暗かった。しかし、朝鮮民謡を聞かせたところ、それまでこわばっていた表情がおだやかになり、何とチャンダンに合わせて手を振ったのだという

▼「3つ子の魂百まで」。肌に染み付いた「民族の血」はそう簡単に消えるものではない。(聖)

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