19全大会迎える総聯C
Q朝鮮学校の民族教育について
A民族的主体性を育む
祖国の解放直後、各地で生まれた「国語講習所から民族教育は始まった | 1940年代後半、GHQと日本当局は力で朝鮮学校を弾圧、同胞たちは激しく抵抗した |
幼稚園から大学校まで各地に
Q 総聯は教育に力を注いでいるようですね。 A 総聯は、幼稚園から初・中・高級学校、大学校にいたるまで百数十校の朝鮮学校を日本各地で運営し、自主的な民族教育を実施しています。その目標は、在日朝鮮人としての民族的主体性を持ち、祖国と民族に寄与し、日本と祖国、世界で活躍できる人材を育成することです。朝鮮語、朝鮮の歴史・地理・社会、民族文化・伝統などの科目に力を入れる一方、理数科目、日・英などの言語科目、日本と世界の歴史、地理、社会など幅広い科目を日本の学校と同等のレベルで教えています。学制や学期区分、授業時間などは日本の教育システムに準じています。 正規の学校以外にも土曜児童教室、青年学校、民族学級などを通じ、一人でも多くの同胞の子どもや若者が民族の言葉と文化を学べるよう努めています。 Q 民族教育はいつから始まったのですか? A 1945年8月15日、祖国解放を迎えた在日同胞はすぐさま、子どもたちに朝鮮の言葉と文字を学ばせることに取りかかりました。植民地支配により失われかけていた民族的主体性を取り戻し、独立祖国の建設に寄与しようとの思いからでした。 こうして、日本各地で「国語講習所」として始まった民族教育は、在日朝鮮人聯盟(朝聯)の結成により発展、組織化・体系化されました。朝聯は各地の国語講習所を46年4月から初等学院に改編し、同年10月からは中等教育も開始。同年末までに、日本各地に初等学院525校、中学校4校を設立しました。 48年に入り、連合軍総司令部(GHQ)と日本政府は、民族教育を力で弾圧しにかかりました。同胞たちは学校を守ろうと激しく抵抗しましたが、49年10月、朝聯の強制解散直後に「朝鮮学校閉鎖令」が下されました。しかし、同胞たちはその後も様々な形で民族教育を守り続けました。 Q 55年の総聯結成後はどうなったのですか。 A 総聯は、朝聯時代からの様々な形態の学校を56年4月から自主運営の朝鮮学校として体系化し、民族教育の新たな発展の道を開きました。その財政的基礎となったのは、57年に祖国から初めて贈られた教育援助費と奨学金でした。 その後、68年には朝鮮大学校が認可を取得し、75年までにはすべての朝鮮学校が各種学校としての学校法人認可を得ました。総聯は、時代と同胞社会のニーズに合わせて民族教育を発展させていく一方、その権利を守り拡大し、不当な差別を是正させ正当な地位を勝ち取るため、今後も力強くたたかっていきます。 |