春・夏・秋・冬

 40年前の4月6日、大宮市高鼻町に開校された埼玉朝鮮初級学校。その後、埼玉朝鮮初中級学校と改称し、様々なう余曲折を経ながらも同胞、教職員たちはそれこそ一丸となってウリハッキョを守り通してきた。その記念行事(13日)に1700人を超える同胞が参加した

▼たくさんの 顔 があった。活動家、教員、企業家、スポーツ選手、美術家、舞踊家、武道家―。そのいろんな 顔 を見ながら、3000人余りの卒業生が民族の文化、伝統を受け継ぎ、地域同胞社会の繁栄に寄与する人材として、育っていることに心温まる思いをした

▼「熊谷の家からバスに乗り継ぎ通う私をウリハッキョは温かく迎えてくれた。ウリハッキョはこれからもチョソン(朝鮮)の香りをいっぱい漂わせて、訪れる人々を和ませてくれるだろう」(金栄淑さん)、「祖国から送られてきたリンゴ。ごく普通の小粒のリンゴだったが、初めて祖国を身近に触れ感じることができ、なんとも言い様のない感動をリンゴの甘酸っぱい味とともにいまも忘れることができない」(李昌勇さん)

▼学校の運営に役立てようと屋台で頑張るオモニたちのパワー、「連合同窓会組織」を結成(7月予定)しようと誓い合う同記念事業実行委員会、愛校会のメンバーたち

▼48年、日本社会でもよく知られた詩人の許南麒さん (故人)が川口朝聯学園の校長だった頃に創作した詩「子供たちよ、これがウリハッキョだ」を生徒らが朗誦した。「ウリハッキョは私たちが守る」。1世たちの民族の魂はいまも根強く生き続けている。(舜) 

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