地名考−故郷の自然と伝統文化

全羅南道−B和順、長城、麗水

盛漁期に立った「波市」

司空俊

和順にある双峰寺大雄殿

白羊寺大雄殿


 和順(ファスン)にある和順炭鉱の埋蔵量は南朝鮮第3位。日帝植民地時代の労働者闘争を記憶している同胞もいるはずだ。名勝地の「赤壁」は滄浪川と神霊川の合流点に位置する。

 光山(クァンサン)は、現在は光州(クァンジュ)市に編入されている。

 光山よりは松汀(ソンチョン)里を知る人の方が多いだろう。松汀里は1914年の湖南線、1922年の慶全西部線(現光州線)の開通にともない交通の要衝になったからだ。大粒で香り高いイチゴ、スイカ、メロンの名産地である。

 長城(チャンソン)は寒天、朝鮮紙、黄竜江のアユが特産物である。長城邑北方2キロメートルの梧桐村には鈴泉という良質泉があるが、国に一大事があると濁った水が湧出るという伝説がある。泉が湧きあがるときの泡沫が、あたかも水底から小鈴が浮かぶようなのでこう名づけられた。名勝地は白羊山。「秋内蔵、春白羊」といわれるほど、春の景色が素晴らしいという。白羊は盧嶺山脈の景勝地に位置する。老木がうっ蒼と茂り、背後では奇岩の山岳美と山水美に接することができる。近くには白羊寺がある。薬水瀑布は健康によいと伝えられることから、滝に浴し、飲用するものも多い。

 羅州(ラジュ)は背後に錦城山をひかえる。前方には栄山江が沃土を貫く。全南平野の中央に位置する、古くからの中心地であった。中心は羅州邑よりも、現在は栄山浦である。梨と竹細工が特産物。

 麗水(リョス)は麗川半島の東南端に位置する。古くから閑麗水道と梧桐島で知られる。梧桐島は麗水の沖合1キロメートル、ツバキと竹が茂り、市民の憩いの場である。麗水は山紫水麗、風光明びの地、小白山脈が南海に沈み込むところに突山島がある。これが防波堤になり、あたりは水深が深く、冬にも零下になることはほとんどない。そのため商港と水産基地になっている。観光客は、閑麗水道の起点の麗水から李舜臣将軍が倭兵を退けた「歴史の海域」にくりだす。

 全羅道の海は水産物が豊かであったため、よく「波市」が立ったものだと古老はいう。波市は朝鮮西南部で盛漁期に一時的に立つジャン(市場)のことだ。

 魚群の移動につれ、魚を早く処分しなければならないことから、波市の場所が変わる。そのため夜市(夜店、乱店と称する屋台のこと)も立ち、漁船や漁夫、運搬船が集まり、「それなりに楽しかった」と語ってくれた同胞もいた。

 主に獲れる魚はイシモチ(蛸島、徳積島)、サバ(黒山島、青山島)、イワシ(楸子島)、洪魚(エイの一種)だったという。

 「それなりに楽しかった」と前述したのは次のような理由からである。

 1月と10月に波市が立った。しかし、この波市は漁民からは喜ばれなかったという。それは他所からやってきた「仲買人」に買い占められ、値段が跳ね上がり、欲しい魚がなかなか手に入らなくなったからだ。資金のない島民や漁民は商売もできなかったからだ。

 農業と関連した民俗風習に「トレ」がある。田植え期など農繁期の人手不足を補うために家ごとに労働力を出し合う一種の扶助的共同作業のことである。これは何も全羅道だけに限ったものではない。1軒の農家から1人か、数人ほどが出て、順番を決め共同で田植えなどをするのである。

 休憩の時には務安郡明山のクラゲ漬けや栄山江でとれたナマズの缶詰をさかなに、地酒を一杯やるのがまた格別であったそうである。
(サゴン・ジュン、朝鮮大学校教員)

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