それぞれの四季

伝えるべきこと

朴★(王偏に旬)愛


 自分が抱いている考えは、言うか、書かないと伝わらない。時間が経れば伝えづらくなる。わざとらしくはないか、意図的だと思われはしまいか…などなどくだらないことを考えていると、またまた時間が経ってしまう。相手が亡くなってしまったときなどは、後悔の念にさいなまれることになる。九年ほど前、高校時代に大変お世話になった先生が入院された。文学の師であった。すぐに奈良までお見舞いに駆けつけたが、妊娠初期だった私を見て先生は「ああ、実家にいらしたのね」とにっこりと微笑まれた。実家は大阪である。だが、講義の都合をつけて駆けつけたのは、「先生に会うためです」と、なぜ言わなかったのか今も後悔している。

 私の所属する文学部では、数年前まで朝鮮漢文が必修で4年間(!)あった。その頃、もっと声を大にして、素晴らしいことだと執ように言えば良かったと後悔している。また、どんなに心の中で感謝していても、改めて言えば良かったと思うことがある。20代の頃大学に呼び寄せてくださった恩師や、出産の際に必ず戻って来いと励ましてくれた同僚、10年の長きに亘って漢文を見てくださった先生。私の1ヵ月の収入の額を上回る辞書や資料の購入にも黙って頷いてくれた夫や、幼い頃に朝鮮の昔話や唄をたくさん聞かせ、読ませてくれた両親。まだ何も成しえていない身だが、ある夜、深い感動のうちに朝鮮古典の世界に浸るとき、この喜びに自分ひとりでたどり着いたのではなく、色々な人々に導かれて来たのだと、思いは深まる。後悔と感謝、危機感と喜びと。(朝鮮古典文学専攻)

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