地名考−故郷の自然と伝統文化

忠清北道−@内陸の道

朝鮮文字の「フ」を逆にした形

司空俊

俗離山五仙峰 水安堡温泉一帯

 忠清北道は南朝鮮の中央部に位置する内陸道である。面積は7434平方キロメートルで、済州道についで小さい。忠清北道の人々は忠清北道を朝鮮文字の「フ」を逆にした道と呼び親しんでいる。地図で確かめてみるとまちがいなく「フ」字を逆にしたような形をしている。3方が車嶺山脈、芦嶺山脈、小白山脈に囲まれた盆地状の地形である。

 これらの山脈の中で鞍部(峠のこと、朝鮮では嶺という)は、古くからの交通路であった。そのいくつかをあげてみる。

 竹嶺(689メートル)は豊基と丹陽を結び、鳥嶺(642メートル)は聞慶と水安堡間を結んだ。梨花嶺(548メートル、通称聞慶峠)には峠道が通り、水安峙(335メートル)は咸昌と富興を結んでいる。最も低い鞍部である秋風嶺(198メートル)は金泉と永同を慶釜線と道路で結んでいる。このようにして、その昔、峠を結んだ道筋には街村(道路に沿ってできた集落)が発達し、今もその面影を残している。

 五台山付近に源流をもつ南漢江によって、丹陽付近では「丹陽八景」の渓谷美がつくられ、流域には堤川、丹陽、忠州、延豊、槐山、陰城などの浸食盆地が発達した。

 全羅北道の長水から発し、北流する錦江は典型的な蛇行河川である。流域には河谷平野はほとんど見られない。

 忠清北道で大きな平野としてあげられるのは、車嶺山脈から流れる美湖川流域に発達する美湖平野(清州付近)と忠州盆地の平野である。

 気温は年平均10〜12度、1月平均は零下4〜6度、8月は29度。このように、大陸性気候であるため、リンゴの栽培が盛んである。また、夏に気温が上がるのを利用して黄色タバコが栽培されている。年間の降水量は1000〜1200ミリメートルであるが、フェーン現象による干ばつが頻繁に起きると農業に支障を来たす。

 古くは馬韓に属し、高麗末の1356年から忠清道と称された。李朝末の1908年に忠清北道になった。このときに道庁が忠州から清州に移転された。

 住民の85%が農業を営む。畑作農家が多いが、リンゴ(国光、紅玉)とタバコの名産地でもある。一時は南朝鮮のタバコ生産量の40%を占めたこともあった。

 金(陰城の無極、錦山)、黒鉛(沃川、永同)、石炭(丹陽)、石灰石(丹陽)などの地下資源が出る。

 この地方の人々は自分たちを「両班」出身という。両班は体面を重んじ、ゆったりと行動することを善とする美意識を持っているからだ。だが、人によっては両班の消極性、非活動性が忠清北道人の気質だからと皮肉を込めて話す。ともかく、この地方はこれといって特色のない所、静かな古邑になってしまった。両班は高麗時代に竜班(文)と虎班(武)と称したのに起因する。李朝時代には、その階級制度にのっとり西班(武)と東班(文)に改称された。2つの班である「両班」といい、科挙に応じて高官に就く特権があった。現代では「旦那」、「殿方」などの意味として、北でも南でも使われている。

 名勝地には堤川義林池、俗離山、華陽九曲、水安堡温泉(水温53度)などがある。ここの住民によると、俗離山は寺、華陽は水石(置物にする石)が誇れるという。(サゴン・ジュン、朝鮮大学校教員)

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