それぞれの四季

統一への鍵

李相美


 38度線を貫き、南北を縦断する鉄道を作ろうという運動があるのをご存知だろうか。残念なことに南北の工事は一時中断し、海を隔てた地で、ごく一部の在日だけが盛り上がっている印象は否めない。そこではたと自問する。私は本当に統一を望んでいるのだろうか。誤解しないで欲しい。統一を望まない在日はいないだろう。いないと思いたい。私が言いたいのは、あえてこの問いにわが身をさらしてみようということだ。なぜ統一を望むのか。何のために統一を望むのか。南北首脳の抱擁を目の前にした時、身の震えるほどの感動を覚えた。このまま一気に統一してくれ、多少の混乱など、血で血を洗った戦争に比べれば、と本気で思った。しかしこの現実。この異国の地でもイデオロギーを越えて差し出された手は幻だったのか。私には何かを守ろうとしているように思える。守るのが悪いとは言わない。個の単位で守るべきものは沢山ある。家族、生活、自分。しかし祖国統一において守るべきものは何なのだろうか。地位? お金? やはり自分? 見えない鎧を脱ぎ捨てて、ただの朝鮮民族の一人になるだけで十分なのではないか。異国の地からこその目を持って、ウリナラを愛し(溺愛ではなく)想えば、おのずとやるべき事は見えて、鉄道は走り、祖国はひとつになるだろう。ばかげた理想論かもしれない。それでも私は声を大にして言おう。統一は、自己の中から始めなければならない。ウリナラのために、そしてこれからの長い年月を朝鮮民族として生きる後世のために、勇気を持って。統一への鍵はその手にある。
(シネマスコーレ スタッフ)

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