侵略の歴史を教えなかった56年−上

右傾化する日本の若者

同志社大学教授  浅野健一


マインドコントロール

 私は大学で新聞学(ジャーナリズム論)を教えている。ジャーナリストは歴史観をもって取材・報道にあたるべきだと思うので、特に日本が1895年から半世紀にわたってアジア太平洋で行った侵略戦争の歴史を詳しく教えることにしている。とくに1年生ゼミでは、国連憲章の中で日本がドイツ、イタリアなど6ヵ国とともに「敵国」として、「侵略政策の再現に備えるためにとる強制行動には安全保障理事会の許可は不要」という敵国条項規定があることを教えることにしている。毎年20人近いゼミ生がいるが、この規定があることを知っていた学生はほとんどいない。

 6月初旬、1年生の学生にこの敵国条項について調べて、発表してもらった。この学生は国連は第2次世界大戦の戦勝国つまり連合国がつくったもので、「結局戦争は勝ったもん勝ち、負けた方に誰も目を向けない」「朝鮮でハングルが普及したのは日本支配による。また日本は朝鮮・台湾の近代化を促した。ただ、戦況が苦しくなって暴走した。私は右傾しているつもりではないが、悪の加害者、善良な被害者、と言う図式のみですべて判断されているように思えてならない」と発表を結んだ。

 ゼミでこの発表を受けて1週間後に討論したが、「東京裁判は戦勝国が日本を一方的に裁いた」とか、「戦勝国がつくった敵国条項は死文化しており、世界情勢は大きく変わった。ただちに廃止すべきだ」などという学生が少なくなかった。日本は戦争に負けたから、あれこれ言われるというのだ。

 「もし日本が戦争に勝っていたら、いまの日本やアジア太平洋はどうなっているのだろうか」と私は問いかけた。

 日本の当時の社会が皇国史観でマインドコントロールされていたファシズム体制で、アジア太平洋の2000万人以上の人々を死に至らしめ、日本の人民もまた被害者だったという知識がない。

国粋主義的な学生

 学生たちの多くは明らかに「自由主義史観」の学者や漫画家の影響を受けていると思う。私は7年前に通信社記者から大学に移ったのだが、約5年前から、「高校時代まで左翼の教師にだまされていた。日本はそんなに悪いことをしていない」とか「従軍慰安婦は連行ではない」などという国粋主義的で無知な学生が目立って増えている。私が大教室の講義で、戦争責任について話すと、猛反発する学生が目立ってきた。1930年代の雰囲気と酷似してきたと思う。

真剣な取り組みを

 NHK教育テレビの「問われる戦時性暴力」番組改竄(ざん)事件を批判する集会で一緒になった高橋哲哉東京大学助教授によると、東大でも同じ傾向にあるらしい。講義で日本の戦争責任にふれると、「日本だけが悪者になっており、不公平だ」「『新しい歴史教科書』などの主張も言論の自由だからいい」という反応が多いという。

 もちろん、日本が過去に犯した加害責任をきちんと認識している学生もいる。しかし、一般的に言えるのは、日本帝国主義が侵略したアジア太平洋地域で、何の罪もない無数の人々が殺害され、強かんされ、略奪され、精神的自由を奪われたという悲惨な事実に厳粛に向き合い、驚き、悩み、苦しむことがほとんどない。とくに隣の朝鮮民族がこうむった被害について真剣に知ろうという姿勢に欠ける。

 6月8日に大阪の小学校で起きた児童殺傷事件のような一般刑事事件では、子どもたちの悲惨な被害にまだ裁判が始まってもいないのに被疑者をさらし者にし、断罪している。心神喪失の可能性が強いのに、死刑にしろという雰囲気だ。

 昭和天皇の指揮のもとで国家が組織ぐるみで行った侵略や、人道に対する罪には、かくも寛容なのだ。「証拠がない」「あなたは見たのか」「人数が違う」などと主張して、事実を見つめようとしない。

 私が共同通信ジャカルタ特派員をしていた92年、インドネシアを代表するジャーナリストのロシハン・アンワル氏は「日本人は戦後の歴史教科書で歴史をゆがめた。日本人は過去の罪についてのカタルシス(浄化)が終わっていない。あと100年は信用できない」と語っていた。その通りだと考える。

 学生たちの親たちは私と同じ世代だ。歴史認識は日本社会全体、とりわけ教育とマスメディアがつくりだしてきたのだ。日本国民は過去56年間にわたり、侵略戦争の責任をどうとるかについて真剣な取り組みを怠ってきた。日本が国際社会で生きていくには、いまから侵略の責任を問う作業を積み重ねていくしかないと思う。

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