山で元気!
背振山
(1055メートル、佐賀県)
古代朝鮮ゆかりの地満喫
今年最初の多久市朝・日登山クラブは佐賀県背振山(標高1055メートル)方面を三瀬峠登山口から屋根づたいを縦走することにした。
5月28日、快晴。同胞5人、日本人10人の一行は多久市を朝8時マイクロバスで出発。登山口に9時半に着き、軽い体操をして同50分、金山(標高967メートル)を登り始めた。今日登る山道で一番しんどい坂道。そこでわれわれは、ここから登るのに自身がない会員らは背振山登山道入口までバスで移動し、そこから中間にある合流地点に向け登山する方法をとった。私は初心者3人をつれ登山道までバスで移動し、合流地点を目指し、歩いた。 矢筈(やはず)峠まで来ると360度のパノラマ景色を一望。左右に有明海と玄海灘、すばらしい天望がはるか彼方に見えてきた。出発して2時間半、合流地点の鬼ガ鼻まできたが金山方面からの仲間がみえて来なかったのでもうすこし歩くことに。猟師岩まできたところ連絡が入った。やがて仲間と合流。矢筈峠で記念写真を撮った同僚らは皆、山を満喫して一流のクライマーになった気分。最終地点に着いたのは夕方5時だった。背振山脈は古代朝鮮と深い関わりがある。セは鉄、フリは流れる、すなわちセフリは鉄が流れる、鉄が溶けるという説がある。安居(アゴ)坂峠、唐人舞、神代(くろしろ)の城、多久羅瀬(村)など。古代朝鮮のにおいがする。とくに佐賀藩成富兵庫茂安(なりとみひょうごしげやす)は水の神様と地元の人々から拝み祭られた。背振山脈の水源地から吉野ヶ里で有名な神崎平野に水を注ぐため数年を要して人工水道をつくった人物だ。しかし、その技法は古代朝鮮の水門技法とうりふたつなのだ。背振と近くの朝鮮式山城、古代朝鮮とは深いつながりがあるが、いまだ謎のベールに包まれたままである。古代朝鮮から玄海灘を渡って来た移住民たちが船のろをこいだときのかけ声と霊が数1000年の時を超え私たちを唐人舞に導き、山の安全を願っていると空想すると今日の登山は2重3重に楽しかった。(佐賀県多久市朝・日登山クラブ・沈成達) 【コースとタイム】三瀬峠登山口〜金山〜唐人舞〜矢筈峠〜背振山登山道入口(10.1キロメートル、5月28日、7時間) |