地名考−故郷の自然と伝統文化
忠清北道−B堤川、中原、槐山など
朝鮮八景の1つ俗離山
司空俊
丹陽八景、舎人岩 | 法住寺 彌勒大仏 |
堤川(チェチョン)は海抜240メートルの高原盆地で、1941年に鉄道が通じてから発達した。セメント工場がある。北方4キロメートルの義林池(イリムジ)は約1300年前の築造で、金堤の碧骨池、密陽の守山堤とともに古代3大貯水池の1つである。景色がよく訪れる人も多い。この貯水池は音楽家の于勒(ウルク)が堤を築いたものだが、その後に朴義林という人が改築したことから義林池になった。ここのサヨリとジュンサイは中国にまで知られたものだったが、1914年貯水池を直した後には見られなくなったという。
動物の化石に線刻がほどこされているのが発見されたが、これは10万年ほど前のもの。旧石器時代の気候など自然環境を研究する好材料として期待される。 最近では「下着姿でも10里(4キロメートル)は走る」(金儲けのためならすぐ飛び出すこと)、「服屋の親父も自家用車に乗る」(成金になったこと)という風潮に街全体が変わっている。このような変化をもたらしたのはセメントだが、その粉塵が四六時中降りそそぎ、人々を悩ませる。 中原(チュンウォン)の特産物は、黄色種タバコとタルク(滑石)である。古跡に中央塔がある。忠州の北西7キロメートルに位置する。言い伝えでは新羅元聖王(785〜798年)が国の中心を決めるため、北と南から同じ歩調の人物を同時に出発させ、2人が出会った所だといわれる。近年、中央塔から1.5キロメートル離れたところに高句麗碑が発見され「国宝」に指定された。 槐山(クエサン)は、 世界でも一属一種の貴重な天然記念物である「ウチワの木」で知られる所だ。現在では京畿道高陽郡でも自生群落が発見されている。新羅真平王28年(606年)、百済の攻撃を受け兵は投降したが、讃徳という将帥だけが最後まで抵抗、力つきてけやき(槐)に頭を打ち付け自決したところから、後年これを称えて地名になったとされる。 丹陽(タンヤン)は忠清北道の最北部に位置する。漢江の上流、南漢江の川辺に12キロメートル続く景勝地、丹陽八景で知られる。中でも川幅150メートルの南漢江上流の水中に浮かぶ島潭三峰は絶景。現地の人々は丹陽八景(島潭三峰、石門、上仙岩、中仙岩、下仙岩、舎人岩、亀潭峰、玉筍峰)の中でも3つの仙岩を金剛山の連珠潭に、島潭三峰を海金剛にたとえ自慢している。古薮洞窟は延長1300メートルの石灰鍾乳洞。「驚異の芸術」といわれる。 温達城は、温達が新羅侵入を防いだ320余メートルの高さに位置する城。温達は高句麗平原王(559〜590年)の婿。後周の侵略を防ぎ、漢江以北の高麗の旧国土を回復した名将。 報恩(ポウン)で有名なのは俗離山(1057メートル)と法住寺である。小白山脈の渓谷美と法住寺がよく調和している。俗離山は朝鮮八景の1つである。八名(山名が8つ)、八台(展望のよい台が8つ)、八石門(石門が8つ)、八峰(峰が8つ)、八橋(8つの橋)など数々の名勝がある。法住寺にある木造5重の塔は高さ22メートルだが、1本の心柱で支えられている。巨大な仏像(高さ33メートル)、優秀な建造で知られる。法住寺は新羅時代(553年)に建立された古刹だ。報恩から車で20分の「三年山城」(周囲1680メートル)は本格的な朝鮮式山城である。 このあたりでは、南漢江の支流である達川江上流に華陽九曲と呼ばれる奇岩屏風が続く秘景がある。(サゴン・ジュン、朝鮮大学校教員) |