ざいにち発コリアン社会

自分らしさ≠ナ世界目指す

ファッションデザイナー・韓安順さん(24)

韓安順さん。2001年春夏コレクションを着て 2000年春夏コレクションのDM

2001年春夏コレクションの一部


 女らしい中にも、華やかで独特な色使い、オートクチュールのように豪華な刺繍やレース、スパンコールで個性を感じさせる。「Han  ahn  soon」の服はそんな服だ。ファッションデザイナー、韓安順さん(24)は大阪・生野区生まれ。大阪第4初級、東大阪中級、大阪朝高を経て地元の服飾専門学校を卒業後、ほんの数ヵ月で自分の名前をつけたブランドを立ち上げた。鈴木あみや持田香織、松雪泰子など、若い女性のファッションリーダー的存在の芸能人が着用したことなどで注目され、昨年、神戸に本社を置く人気セレクトショップ「ルシェルブルー」と契約。「Han  ahn  soon」は、2001年春夏からルシェルブルー各ショップで全国展開され評判を呼んでいる。

生まれも育ちも生野

 「デザイナーになるつもりはなかったんです」

 ふわっとした笑顔で答えられ拍子抜けした。

 旅行が大好き。朝高卒業時、海外留学を希望したが家族に反対され、「とりあえず」服飾専門学校に入った。ずっと留学のことばかり考えていた韓さんだったが、意外なことに、きっかけはコリアンタウンにあった。

 専門学校時代、生野のいわゆるコリアンタウンのど真ん中にある「オモニらが集まる、結構派手目なマダムな服屋」でアルバイトをした。もちろん、経営しているのは同胞女性。毎日いろんなオモニたちがやってきて、コーヒーを飲みながら話し込むサロンのような店だ。「若いのにこんなところで珍しいなあ」と可愛がられる毎日は、「とても楽しかった」。

 ある日、昔チョゴリ屋をやっていたというあるオモニに「あんた服縫えるんやろ。使わない生地いっぱいあるから今度取りにおいで」と言われ、行ってみると、それはカラフルなチュールレースだった。最近、チュールでチョゴリを作るのは流行っていないが、韓さんの目には素材として新鮮に映った。

 早速もらって縫い始めたこのチュールレースのワンピースが、「Han  ahn  soon」の原点だ。デザイナーが職業となった今も、少しずつ形を変えながら毎シーズン作っていて、ファンも多い。

行動力が縁と運呼び

 チュールのワンピースの評判はよく、周囲に「作って」と頼まれるまま、いつの間にか作品は「商品」になっていった。

 専門学校卒業後は、年に2回ギャラリーで展示会を開き、発注分を作ってその売上で海外旅行へという生活。またその合間に、ショップに商品を持ち込んだり、1人で東京に行って有名スタイリストに売り込むなど、積極的に行動した。

 「せっかく作るなら中途半端はいやだった。コネはないけど自信はあった」

 ほわんとしているようで、ガッツがあるのだ。

 韓さんの服は評判を呼び、99年11月の大阪コレクションに依頼され出展した後、一躍脚光を浴びることになる。でもこの時期はまだ手作り。注文があっても「もう生地がありません」なんてことさえあったという。

可能性買われ専属契約

 そして昨年、縁あってルシェルブルーと契約。1人で作っていた時代にはできなかったことも可能になった2001年春夏コレクションでは、「今までのイメージを覆したかった」。

 「これまでアジアとヨーロッパの融合と評されることが多かったので、今回はあえて外してアメリカのイメージを入れてみた。生産量も今までと桁が違って怖い部分もあったけど、思ったことができて満足です。また1人の時と違ってスタッフの厳しい意見にもまれることで、新しい発見も多かった」。

 87年に設立され、近年急成長を遂げている同社だが、個人のデザイナーと専属契約を結ぶのは初めてのこと。「一緒に大きくなっていこうと考えています」と話すのは、同社マーケティングの多々羅末由さんだ。

 「商品として使えると判断したから契約しました。経験は少ないが可能性がある。欧米のものまねではなく、彼女の独特の文化、持っているものを、一緒に日本から世界へ発信していければ。個性が強い分だけ、日本よりむしろ海外で通用するかもしれない。世界で活躍できるデザイナーとして、大切に育てていきたいと思っています」

 秋には銀座に大規模なショップをオープンする同社。韓さんも秋冬物からの本格展開に向け、大忙しの毎日だ。バッグなどの小物も手がけていくという。

 生野発、世界を目指す24歳。「いつも自分らしく」が信条だ。
(韓東賢記者)

 商品の問い合わせ=ルシェルブルー、TEL  078・327・1370

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