朝鮮展覧会参観代表団

奈良、京都で交流深める


 日本画家でユネスコ親善大使の平山郁夫さん(71)の招待で訪日した展覧会参観代表団(団長=李柱伯文化省文化保存管理局長)一行が1週間の滞在を終え、11日、帰国の途についた。一行は、東京・高島屋で開催中の「高句麗今昔を描く   平山郁夫」展(4〜17日)に出席したのを皮切りに、東京、奈良、京都の国立博物館などを訪れ、文化財の保護の立場から交流を深めた。

 祖国の代表団の今回の訪日は、平山画伯の高句麗壁画に寄せる30数年来の熱い思いが実を結んだもの。

 5日、画伯夫妻は40度近い猛暑の中、奈良県・明日香村にある高松塚壁画古墳に一行を案内した。画伯の「卑弥呼擴壁幻想」(院展作・1967)に描かれた卑弥呼は、高句麗壁画の最高傑作に数えられる水山里古墳壁画の女性像を参考にして描かれたもの。そして、その絵の発表から5年後の72年、日本で戦後最大の考古学的発見と言われた高松塚壁画古墳が見つかったのだ。そこに描かれた「飛鳥美人」の源流は水山里古墳壁画。そして、画伯は師の前田青邨画伯のもとで模写班の責任者に就任した。「完成まで7ヵ月かかりました。小さな穴なので、出入りするのも大変で…」と当時を回想した。

 高松塚はもちろん、近くで発見されたキトラ古墳の四神図も、「高句麗壁画をお手本に描かれたのは疑いもない事実。技量は小学生と大学生ほど違いがありますが…」と画伯が語り始めると、美知子夫人が「あなた、大学生と幼稚園児ほどの違いですよ」とやんわり「訂正」する一幕もあって周囲は笑いに包まれた。

 さらに、シルクロード・高句麗文化の日本最初の到達点でもある飛鳥寺へ。代表団を迎えた山本宝純住職は「飛鳥寺は聖徳太子の人間形成や仏教面の指導に携わった高句麗の高僧・慧慈が管長を務められた由緒ある寺。伽藍配置も平壌の清岩里寺の一塔三金堂様式をモデルにしたもの。古代日本に豊かな恵みをもたらした高句麗の恩を片時も忘れたことはありません」と温かい言葉で出迎えた。

 一行は同日、平城宮址を訪ねて奈良市内にある奈良文化財研究所の各施設も参観した。檜の年輪測定によって、近年考古学界に衝撃的影響を与えている同研究所埋蔵文化財センターの光谷拓実研究室長らの案内を受けた。

 光谷氏は数年来、中国側から白頭山を踏査し、1000年以上前の大噴火の年を確定するために檜とよく似た性質を持つ朝鮮カラ松の炭化材(900年代)を採取。同氏は、日本にも青森、秋田地方の広い範囲で白頭山の火山灰が堆積しており、これらを解明すれば、白頭山の大噴火年が特定できると述べた。これに対し、李団長は「その研究はわが国にとっても有力な情報。研究の成果をぜひ、通報してほしい」と応じた。

 代表団は6日、奈良と京都の国立博物館を訪れた。出迎えた京都国立博物館の興膳宏館長は、「欧州出張中に朝鮮代表団の来日のニュースを知って、みなさまとお会いするのを楽しみにしていた。今日を契機に文化交流をいっそう活発にやりましょう」と歓迎した。

 また、同日、一行を出迎えた奈良国立博物館杉長敬副館長も「奈良の都は、高句麗文化を母胎にして生まれた都。古代日本の黎明期の文化に多大な影響を及ぼした高句麗へのあこがれと関心は高い。一日も早く互いに交流できる日がくればいい」と語った。

 平山画伯は、この旅を振り返りながら「代表団が国の施設を視察して、文化財の専門家らと幅広く交流できたことはとてもよかった」と述べ、「高句麗文化が花開いたいにしえの都に代表団を迎えたことは意義深い。日朝関係は進展していないが、自然や絵画を通して、文化の面で風通しが生まれ、将来の正常化へのステップになることを願っている」と語った。(朴日粉記者)

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