メディア批評D―長沼石根
着実に進む歴史の歯車
南北首脳会談から1年、奔流の如き流れ触れぬ報道
時の流れの速いこと。平壌での南北首脳会談からもう一年が経った。歴史の歯車は前進したのか後退したのか、あるいは動きを止めてしまったのか。
「熱気が冷め」たのか あらかじめ分かっている行事などについて、メディアの対応はそつがない。首脳会談初日に当たる6月13日をピークに、新聞各紙は様々な角度からこの1年を振り返った。例えば日本経済新聞は「南北会談一年」、朝日新聞は「首脳会談一年」、また、産経新聞は「南北宴の一年後」など、それぞれの持ち味を生かした続きもので読者の関心に応えた。 が、どこも結論というべき現状を見る目は同じ。大ざっぱに言えば、南では「熱気が冷め」「南北対話の動きは止まってしまった」(朝日)、「韓国世論の風当たりは厳しさを増している」(産経)というのである。 南北閣僚級会談も赤十字会談も中断したまま、韓国主要紙の世論調査の結果を見ても市民の関心は薄れている―といったことを、各紙とも停滞の背景としてあげている。 はたして、そんなものか。 せっかくの機会なので、この1年の南北間の交流を簡単になぞっておく。 4回の閣僚級会談、3回の赤十字会談が開かれた。国防相同士の会談もあった。北の要人・金容淳朝鮮アジア太平洋委委員長のソウル訪問もあった。 それらを受ける形で、離散家族の相互訪問が15年ぶりに再開され、南の言論人の平壌訪問と総書記会見があり、朝鮮国立交響楽団のソウル公演もあった。シドニー五輪の開会式では南北統一行進が、また金剛山では南北統一メーデーが実現した。先月は、南のデザイナーが平壌でファッションショーを開いている。金剛山観光には、すでに30万人以上が参加した。 前者は公的な交流、後者はいわば民間交流といっていいだろう。また、例えば、「在日」について言えば、総聯の「故郷訪問」が4回にわたって行われ、金剛山歌劇団のソウル公演が実現し、ボクシングの世界王者・洪昌守の防衛戦ではソウルに250人を超える在日朝鮮人が応援にかけつけた。これまた、南北会談の成果である。 言うまでもないが、北も南も民間団体や個人が勝手に交流できる状況にはない。全ては、政府の了解のもとに行われている。その結果、わずか1年前まではアリの這い出る隙間もないといわれていた南北間に、奔流の如き人の流れが生まれたのである。 「冷えた」とする日本のメディアの見方からするとこうした大きな流れをどう考えればいいのだろう。確かに南北の政府間交流は停滞している。表面を見ればその通りだろう。しかしそこだけ見ていても分からないことがある。読者はそこのところを知りたい。残念ながら、どこもそれに応えていない。 ついでに指摘しておけば、この間紙面を埋めていたのはもっぱら「韓国」の動きだけ。「北朝鮮の失望」として北の動きに触れたのは唯一、6月14日付の読売新聞だけだった。もう一点、各紙に共通して「欠けていた」のは南北交流に向けた日本の関わり。米朝関係が大きなカギを握っているのは分かるが、それでも日本が無関係というのはあり得ない。また、ないとすればそれを指摘すべきで、全く触れないというのでは見識が問われる。 特筆すべき「民族21」 変わりばえしない紙面の中で、クールな視点を披露してくれたのは、皮肉にも毎日新聞の「世界の目」に登場した「韓国」の三星経済研究所の董龍昇氏の一文。一部を引用させていただく。 「たった1回の首脳会談で『冷戦の孤島』が『平和の殿堂』へ変わるという、過度の期待の次にやってくる虚脱感が現在の状況だ」「南北分断の歴史は半世紀続いた。分断の時期が長かったのと同様、平和を築きあげるにも多くの時間が必要だ」 冷静な指摘の矛先は報道のあり様にも向けられている。 メディアに関連して、4月にソウルで創刊された月刊誌「民族21」にも触れておきたい。 東京新聞がちょっと紹介していたが、南北の読者を視野に入れた同誌の表紙は、毎号「北」の写真。記事も含めて、北の情報は主に朝鮮新報、つまり本紙の平壌特派員が提供している。南も北も、つい先日まで相互のメディアを認めてこなかったことを考えると、これもまた特筆すべき「交流」といえるだろう。 さて、共同宣言が出てから1年たった6月15日、南北ではどんな動きがあったのだろうか。翌日の新聞から拾いだしてみた。 @板門店で1周年を祝う政府間のメッセージ交換Aソウル、汝矣島公園で民間主催の記念イベントB金剛山で南北の民間団体共催の「民族統一大討論会」。メディアの関心はすでに朝鮮半島を去ったのか、朝日が汝矣島の集会の写真を1面に載せ、国際欄でフォローしているほかは、各紙ともおおむね雑報扱い。読売に至っては集会関連情報はゼロ。 各紙の朝鮮半島への関心の持ちよう、温度差が分かって、これはこれで面白かった。 朝鮮新報で知ったのだが(ということは日本のメディアは報じていない)、金剛山の集会には先に紹介した「民族21」の創刊号の表紙を飾った北の女子大生が参加していて、南から来た学生たちに大もてだったとか。こんな話題が載ったら、新聞はもっと楽しくなる。 全く余談になるが、そんなことを考えていたら、A社の東南アジア特派員がいつか嘆いていた話を思い出した。 A紙の読者は800万人いても、彼の赴任先の国に興味をもっているのは、1万人くらいではないか。彼らが知りたがっているのは―と考えたその記者は、もっぱら市民の表情をレポートすることに努めた。が、本社はそれが不満らしく、800万読者のために、「もっと大局的な立場からの記事を」と要求してきた。「大局とは」と彼は頭を抱えてしまった。 6月16日の各紙を見ていて、私がそんな話を思い出したわけをご理解いただけると思う。メディアと読者の関心の間にある距離である。 同じ日、新聞のテレビ欄に目を通すと、NHKとテレビ朝日が「南北」を扱っていた。前者はニュース枠で汝矣島の集会を中心に報じていたが、後者はニュースステーションの中で「改革・開放」をテーマに、平壌市内にできたゴルフ場や最新作のメロドラマなどを紹介していた。 どんな番組であれ、改めて映像のもつ力を再認識した。テレビが報道に目覚めたら、新聞もうかうかしていられない。 最後に一言。南北交流にふれた一連の記事で一番面白かったのは、16日の朝日新聞に載った映画監督・山田洋次氏の「北朝鮮映画を通じて友好はかろう」の一文。どこがですって? まあ読んでみて下さい。 歴史の歯車は、着実に前進している。(ジャーナリスト) |