現場から−金善則(総聯南山城支部常任顧問・78)
救いたい、同胞トンネ
強制立ち退き≠ニたたかう
先月、総聯故郷訪問団の一員として62年ぶりに故郷を訪れた。感激とともに複雑な気持ちだったのは、日本が朝鮮を植民地化して1世紀近い月日が経った今も、祖国は分断されたままで、在日同胞の権利は侵害され続けているからだ。私が一生をともにしたウトロの同胞は現在、強制立ち退きの不安にさらされている。
ウトロの同胞は日本によるアジア侵略戦争の犠牲者である。1938年、大陸侵略を進めていた日本は、京都に飛行場を建設する計画を立て、ここに1300人の朝鮮人労働者を強制連行した。私はこの頃渡日し、建設現場付近にあった山城町の町工場で働いていた。 解放後、多くの同胞は帰国したが、帰るに帰れなかった人々は、工場敷地に作られた飯場跡の長屋で極貧生活を続けた。それが現在のウトロ、京都府宇治市伊勢田町ウトロ51番地である。約70世帯230人の在日朝鮮人が住む。その多くが高齢者だ。 ◇ ◇ 解放後、ウトロの土地の所有者となった(株)日産車体は87年に土地を売却。その後、さらに転売された土地を買い取った(有)西日本殖産はマンション建設を計画し、89年、住民全員に立ち退きを迫る訴訟を京都地裁に起こした。それまでの経緯を一切知らされていなかった住民にとっては、まさに寝耳に水の出来事だった。 住民たちは「地上げ反対! ウトロを守る会(守る会)」を結成し、ウトロに住むようになった歴史的経緯から「暮らし続ける権利」を主張してたたかった。しかし、昨年11月の最高裁での上告棄却決定によって住民敗訴の判決が確定。現在、ウトロはいつ強制執行が行われてもおかしくない状況にある。 ウトロに位置する総聯京都・南山城支部は、裁判が始まった当初から集会の場所に事務所を提供するなど、裁判を間接的に支援してきた。私も支部の副委員長として、また「守る会」会員として運動の中に身を置いてきた。 立ち退きが執行されれば、生活困窮者である同胞高齢者の多くは路頭にさまようことになる。そのことを思うと、涙がこみあげてくる。 今まで苦労という苦労を重ねてきた彼らが、長年住み慣れた生活の場を失うことだけは絶対に避けなければならない。 ◇ ◇ 裁判を通じて住民が得た結論は、「自分たちのトンネを残す」ということだった。 住民たちは数年前から裁判の敗訴を見越して、「ウトロまちづくりプラン」をまとめ、行政との交渉を続けている。プランでは資金のある人は土地を購入し、資金力のない同胞高齢者や住民の住居を保障するため、行政が公営住宅を設立することを求めている。 そもそも、ウトロ問題発生の原因は日本の植民地支配にあり、問題を解決する責任は日本政府にある。日本政府は朝鮮人を祖国から引き離し、侵略戦争遂行のために酷使しながら、解放後、何の措置も講じていない。飛行場建設の設計、施工を担当した京都府にも責任がある。 これからが運動の正念場だ。日本政府と行政が自らの責任を認め、問題解決をはかるよう、世論を盛り上げて行く必要がある。全国の同胞、日本市民に協力を呼びかけたい。 |