地名考−故郷の自然と伝統文化
済州島−(1)三姓穴
良、高、夫3氏出現の穴?
司空俊
南で最も高い山、漢拏山 | 三神人が出現したとされる三姓穴 |
済州島は古代、耽牟(タムモ)、馬夷(マイ)とも称された。三国時代は耽羅(タムラ)国として百済に、新羅文武王二年(662年)からは新羅に属した。高麗時代には一時、元に占領されたこともある。
済州島には、州胡(チュホ)、渉羅(ソップラ)、純羅(スルラ)、屯羅(トンラ)、度羅(トラ)など10数の呼び名があった。耽羅と呼ばれたのは粛宗時代(1096―1105年)からで、済州と呼ばれるようになったのは高麗忠烈王21年(1295年)からだ。李朝時代には済州郡(島)となり、政治犯の島流しに使われたこともあった。1946年8月には米軍の戦略上の事情で、全羅道から分離され道に昇格した。 済州島には伝説上の三神人、すなわち良乙那、高乙那、夫乙那が存在したと伝えられる。済州の良氏(後に梁氏と改姓)、高氏、夫氏の始祖と言われ、済州市内の遺跡、三姓穴(直径5メートルの窪地の真ん中にある3つの穴)から出現したという。 済州島は木浦から150キロメートル離れた南海にある。地図でみるかぎり済州島の周りには27の島があるが、済州島が最も大きい。 済州島は、東西73キロメートル、南北41キロメートルの楕円形で、海岸線の距離は253キロメートル。面積は1845平方キロメートル。慶尚北道の10分の1、忠清北道の4分の1の大きさだ。 現在の人口は約52万人で、年間降水量は1440ミリメートル。雨の多い季節は7〜9月で、年間降雨日数は100日を超える。積雪は希である。年平均気温は14.7度で、夏は24度、冬は6度と朝鮮半島の中では温暖な気候である。季節風が強く、冬には秒速20メートルに達することもあり、飛砂走石の状態になることもある。 雨は多いが河川が発達していないことから、海抜500メートル付近から雨水は地下に伏流する。そのため水無川が多く、海抜100メートル以下の海岸地帯あたりで湧泉したので、この一帯に集落が形成されるようになった。集落の50%が海岸に位置するという。 済州島は、側火山(寄生火山)が360余ある世界でも珍しい火山島である。地質時代の第3紀末〜第4紀にかけて大量の溶岩を噴出した。中央にそびえる漢拏山(1950メートル)は南朝鮮最高峰で、頂上には周囲3キロメートルのカルデラ湖の白鹿潭(湖底は輻80メートル、深さは16メートル)がある。山麓には牧場が広がり、牛馬を飼育している。 海岸線はきわめて単純で断崖、岩礁が多く、天然の良港はない。 付近の海は好漁場で、タイ、サバ、イワシ、スズメメグロダイ、メバル、ヒシゴイワシ、グチ、サワラ、フグ、サメ、タチウオ、アカダイ、カニ、ムラサキウニ、ワカメ、アワビ、サザエ、ナマコなどが多く水揚げされる。島民の3分の1が漁業関係に携わっている。海女や漁民によるアワビ、海草類の採集はよく知られている。 植物は1800余種ほどあると見られ、1つの島に多種の植物が分布していることから植物学者にとっては絶好の研究地になっている。中でもミカン類は古来からの特産物で、その種類だけでも36を数える。またクスノキとキツツキは済州島を代表する木と鳥だ。砂糖キビ、サツマイモ、ミカンの栽培が盛んで、高山のシイタケとともに輸出もされている。(サゴン・ジュン、朝鮮大学校教員) |