地名考−故郷の自然と伝統文化

済州島−(2)三多島

水産物・植物・民謡・古語の宝庫

司空俊

正房瀑布 金寧蛇窟

 済州島は「三多島」(風と石と女が多い)、「三無島」(物乞い、盗人がおらず、家に門がない)、「三宝島」(漁、植物、景勝の宝庫)などと呼ばれる。

 では、三多についてみてみたい。

 済州島に石が多いのは火山島だからだ。「東国輿地」によると、1002年に飛揚島が、また1007年に大静東方で海底火山が噴火し、軍山(瑞山)が噴出したとの記録がある。また「李朝列聖録」によると、1445年には「済州、大静、旌=ジョン義で家屋頽毀  人多圧死」、1670年には「済州地震有声如雷  人家頽壁  多頽地者」などの記録がみられる。この程度の被害から推定すると、朝鮮の分類法による震度7〜8のものになると思う。だとすれば火山活動が活発であったといわねばならない。

 なお、地質学的にみると大噴火が4回認められる。噴出岩の分布から推定すると30余回活動があった。漢拏山は高さ1950メートルだが、1750メートル以下は玄武岩で覆われている。このようにして前述のように、側火山の火口を360余もつくった。済州ではこれをオルム(岳)と呼んでいる。これらの噴火によって島が形成されたので石が多いというわけだ。

 つぎに、女性が多いのは経済的な問題からだ。解放前も後も、女性の人口が20%ほど多い。とくに20歳以上で著しい。これは「男子立志出郷関」ではないが、以前は男子が青雲の志を抱いて本土や日本を目指したからである。

 「三宝」は次のように改めた方がよいのではないだろうか。360余の側火山をもつ「火山の宝庫」、「水産資源の宝庫」、「植物景観の宝庫」、「民謡の宝庫」、「古語の宝庫」、つまり「五宝の島」だと。

 金寧蛇窟(クムリョンサグル)、万丈窟(マンジャンクル  高さ15メートル、幅13メートル、長さ13キロメートルの大溶岩トンネル)、翰林(ハンリム)鐘乳石窟は溶岩トンネルである。海岸瀑布である西帰浦近くの天地淵瀑布や正房瀑布、中文の天帝淵瀑布、ほかに山房山、三姓穴などがあげられるが、やはり漢拏山自体の登山がよい。

 また、溶岩洞窟などの火山風景、海蝕崖などの海岸風景、植物景観、それに特異な民俗など観光資源に富んでいる。

 島民の自慢は「済州十景」である。

 城山日出峰(日の出)、霊室奇岩(漢拏山頂上の奇岩絶壁)、古薮牧馬(最盛時には7万頭の馬や5万頭の牛が飼われたこともあるという、漢拏山を背景にした馬の姿)、鹿潭満雪(白鹿潭に積もった雪は5月まで残り、この白い雪と満開の桃色のサツキのコントラストがすばらしい)、瀛邱(ヨング)春花(サツキの花と菜の花)、山浦釣魚(山地浦=現在の済州港で楽しむ釣り)、紗峰落照(紗羅峰から眺める落陽)、竜淵帆船(月夜の舟遊び)、橘林秋色(済州城から眺める晩秋のミカン畑)、正房夏瀑(海上から眺める夏の滝)である。

 これに山房窟寺と西鎮路城を加えると済州十二景になる。

 「済州島民謡集」によれば、島には1400曲ほどの童謡と民謡があるとされる。民謡は哀調を帯びたものが少ないという。島で民謡は、歩きながらも、洗濯しながらも、ただ一人で歌う性質のもののようだ。

 幼児は母親の背中で子守歌のかわりに聞いたかも知れず、古老は苦しかった生活を省みながら歌ったかも知れない。このような歌というのは、概して男性よりも女性たちの間でよく歌われたのではないだろうか。(サゴン・ジュン、朝鮮大学校教員)

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