分断された民族の「恨」晴らす舞台
「死者の結婚式」−キョルフォンクッ−/沈雨晟ひとり芝居
「韓国」の著名な民俗学者であり、ひとり芝居の役者・沈雨晟氏(67)が演じる「キョルフォンクッ(死者の結婚式)」は、統一を念願するメッセージを込めた熱い舞台である。東京・渋谷のプーク人形劇場30周年記念特別企画として今日から始まった異色の舞台に沈さんは「分断された祖国の統一を実現するうえで、画期的な転換をもたらした2000年6月の『6.15宣言』の精神をしっかり受け継ぎ、日本や世界の人々に統一を望むわが民族の心を伝えたい」と意欲を燃やしている。
「死者の結婚式」は、祖国分断以来、統一運動の最前列に立ち命を奪われた数知れぬ若き人々の合同結婚式をモチーフにしている。 舞台は、哀切に満ちた音楽、踊り、身振り(マイム)で綴る無言劇。実際に朝鮮半島で古来から伝えられてきた「死者の結婚式」の儀式用の人形やタル(仮面)、主に土着信仰である巫俗(シャーマニズム)の巫具が巧みに使われている。 舞台上の無数の紙人形は、祖国統一の闘いに身を投じて命を燃焼させた未婚の男女を表す。男女を象徴するほうきに服を着せ、祭壇に座らせ、その魂を揺さぶるかのような沈さんの姿からは神気が立ち上ぼる。 この舞台の初演は、1998年。その後、情勢は好転した。南北首脳会談、シドニー五輪での統一旗を先頭にした南北共同の入場行進…。こうした祖国統一の歴史的転換を迎え、沈さんの舞台は統一旗を舞台中央に掲げた、より力強いメッセージを込めたものとなった。すでにソウルや済州道をはじめ五十ステージ以上をこなした。海外でもパリ、ニューヨーク、ロサンゼルスなどで数々上演し、絶賛を浴びている。 今回の日本公演実現の陰には、人形劇団プークの代表だった故・川尻泰司さん(94年、80歳で死去)と「韓国」の代表的な木彫仮面複製作家で沈さんの父・沈履錫氏(89)さんの半世紀以上前の運命的な出会いがあった。 日本の植民地時代、上野美術学校(現・東京芸大)に留学中だった履錫さんは、独立運動で投獄され、川尻さんも治安維持法違反で何度も逮捕された。そんな2人が出会うべくして、出会ったのが、東京の留置所だった。そこで心を通わせた2人だったが、戦後は、音信が途絶えていた。再び2人を結びつけたのが、雨晟さん。 「80年の光州事件をテーマにしたひとり芝居を、ソウルに来た川尻さんが観て下さった。それから、プークの力添えで、九州から北海道まで日本各地でおよそ80回も公演するようになった」 ある時、東京に来た雨晟さんに川尻さんが「昔、同じ姓の人を知っていたが…」と懐かしそうに語り出した瞬間、「それは僕の父です」と答えた時の雨晟さんの喜び、誇らしさ。そうして幾重にも重なりあった縁が、今度の東京公演に結びついたのだった。 舞台には、20世紀初頭の日本による侵略に、憤怒と血潮で抵抗した義兵闘争の兵士の絵が掲げられ、日帝の非道に喘ぐ民衆の慟哭を歌う「尚州アリラン」が流れる。クライマックスでは祖国の統一を願うシャーマニズム、仏教、キリスト教、それぞれの巫歌と念仏、賛美歌が響き渡る。その中で、統一戦士たちの結婚式が挙行されていく。この時、朝鮮民族の恨を晴らし、分断ではなく統一を求める根源的な思いが会場を一つに満たす。 敗戦から56年。教科書、靖国問題などでひときわ騒々しい夏。今、東京でこの芝居を演じる意味は? 沈さんの答えは明快だった。 「南北の民衆には、今、互いを理解し、信頼し、協力しあう機運が高まっている。この歴史の歯車を後戻りさせてはいけない。東アジアにもたらされた和解と緊張緩和、平和の流れを日本の人々自身がどう受け止めるのか、ぜひ、考えてほしい」(朴日粉記者) |