大阪朝高ボクシング部梁学哲監督に聞く

インターハイ初の金メダル

悔し涙から7年、血と汗にじんだ拳


 熊本県で開催された今世紀最初のインターハイ(全国高等学校総合体育大会)ボクシング競技75キログラム級決勝(7日)。

 1ラウンド開始直後からし烈な打ち合いが繰り広げられた末、競技終了のゴングが鳴った。わが校の崔日領選手が圧倒的に優勢だった。
 (金メダルだ…だが銀かもしれない…)――。判定が下される前から心の中では、勝利に対する強い確信を持ちながらも、一種の不安も頭をよぎった。というのも、3年前のインターハイで、教え子の選手が思いもよらぬ判定で敗れた「苦い経験」があるからだ。その時は、涙ながらに選手の心の中に「金メダル」をかけ、競技場を去った。今でもその時の悔しい記憶は脳裏に生々しく残っている。

 そんな悔しい思いをバネにし、21世紀最初のインターハイでは必ず金メダルを勝ち取ろうと、ボクシング部の生徒たちは両コブシに血と汗をにじませてこの日の決勝戦を迎えたのだった。

◇                    ◇

 思えば、昨年までのインターハイ出場7年の間に、2つの銀、5つの銅メダルを獲得した。全国選抜大会ではすでに金メダルを3つも獲得している。今年はこの決勝を迎えるまでに、銀1つと銅2つを獲得し、強豪朝高の名は十分にアピールしてきた。だからか、満足感も少なからずあった。

 しかし、その時、全国各地どこへ行っても、われわれに力と勇気を与えてくれた同胞らのあたたかい激励と応援の姿が思い起こされた。そうだからこそ、 悔し涙を喜びの涙にかえようと力も湧いてきたし、指導者として初心に戻って選手とともに練習に励むことができたのではないか、絶対に金メダルをと思った。

 また98年、タイで行われたアジア競技大会で、朝鮮のリ・グァンシク選手が日本選手権保持者を下した直後、日本チームの監督が私を訪ねてきて、「朝高選手は大丈夫だ。あなたたちには祖国の鉄のようなコブシがあるではないか」と激励されたことも思い出された。

 そうした期待に応え、インターハイを通じて、民族教育の正当性を示さなければとも思った。

◇                    ◇

 判定の時を待った。

 つい先ほどまで「チョウコウ、ケーソッ、チョンジン(朝高、引き続き前進)」との歓声が響き渡っていた場内も、息を飲んだように静まり返っていた。

 その瞬間、ボクシング部員や同胞学父母、合同訓練を共に実施してきた日本学校の生徒と指導員らに見守られるなか、「大阪朝高、崔日領選手の判定勝ち」という場内アナウンスが流れ、崔選手の右手がリング上高く上げられた。場内は「イギョッタ(勝った)」「チャルヘッタ(頑張った)」という大歓声と大きな拍手に囲まれた。

 21世紀最初のインターハイで金メダルを勝ち取った崔選手。彼の胸に輝く金メダルは、民族教育の誇りであり、勝利でもある。われわれの2つの握りコブシは、学校と同胞、そしてOBらに支えられ、日本全国の頂点をつかんだのだ。

 競技終了後、審判員の1人が寄ってきた。タイのアジア競技大会で激励してくれた監督だった。「梁先生、優勝を心から祝福します」と言いながら、握手を求めてくるではないか。その瞬間、なぜだか涙があふれた。

 今回の優勝は、異国の地に住みながらも、祖国の栄誉を輝かせるとともに、ウリハッキョの素晴らしさを示す最高の贈り物であった。

日本語版TOPページ

 

会談の関連記事