女のシネマ

蝶の舌

失われた自由の時代への鎮魂


 歴史に「もしも」はあり得ない。しかし、もしも、ファシズムの台頭によるスペイン内戦が起こらなかったら、共和制下のスペインは、豊かな自由の時代を享受していたのだろうか。

 映画は、1936年春から始まる。北部ガリシアの小さな村の小学校に入学した少年が退任間近の老教師に導かれて生き生きと成長してゆく様子と、忍び寄るファシズムの影におおわれてゆく内戦前夜の村の不安を克明に追ってゆく。

 喘息の持病のため、一年遅れで入学したモンチョが、最初は恐い所だと思っていた学校が、決して叱らない高潔な人柄のグレゴリオ先生によって、それは楽しい学びの場となった。蝶にうずまき状の舌があること、ティロノリンコという鳥は求愛の時メスに蘭の花を贈る、蟻が家畜を飼っていること、ジャガイモが新大陸原産だということ。

 詩を朗読したり、身近な自然を観察することによって、自然の発見と驚異を知る―。グレゴリオ先生が教える知識は本質的なもので、モンチョに自然な人間としてのあり方に目を向けさせる。友情、初恋、男女の性行為、サックスに込めた兄のかなわぬ思い。

 モンチョが好んだ野外授業の森や川べりの風景がみずみずしく明るい。ファシズムの影と鮮やかなコントラストをなす美しさだ。

 夏休みの幕開けは、そのまま残酷な時代の始まりとなった。共和派支持者の一斉検挙。親友のロケの父も、隣人も、「自由に飛び立ちなさい」と退任していったグレゴリオ先生も、容赦なく引ったてられた。

 暴力と野蛮が村民を分断する。「裏切り者、アカ!」。踏み絵としての悪罵の限りを尽くす父と母とともに、モンチョも叫ぶ。「ティロノリンコ、蝶の舌!」。内戦による惨劇が待ちかまえているだけに、ストップモーションのラストは総毛立つ。揺籃のうちに失われた自由の時代への鎮魂。胸に突き刺さる深い思いが、痛い。ホセ・ルイス・クエルダ監督。95分。スペイン映画。(鈴)

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