在日同胞の権利認めた世界

国連・社会権規約委対日本政府審査に参加して

宋恵淑(英・エセックス大大学院在学中、在日本朝鮮人人権協会会員)


 ジュネーブで行われた社会権規約委員会の対日本政府報告書審査に、今回、在日本朝鮮人人権協会の代表の1人として参加した。

 私たちは8月13、21日にそれぞれ約1時間半、委員たちとの話し合いの場を持った。13日にはチマ・チョゴリ事件をはじめとする朝鮮学校生徒への暴言、暴行について報告し、21日には朝鮮学校を差別する日本政府の不当性について訴え、教育の権利について定めた同規約第13条に鑑み、政府が朝鮮学校を正規の学校として認めて初中級部を無償化し、国立大学の受験資格を認めるべきだと主張した。

 マイノリティーによる学校でも、居住国の教育ガイドラインに見合う教育が実施されている場合は「正規の学校」として認めるケースが多々あり、特定のマイノリティーに対してその居住国が、彼らの個別事情に鑑み、個別に対処しているケースも少なくない。カナダや米国のいくつかの州では、その地に居住する先住民族に対し、歴史認識にもとづいて彼らの独自性を認め、公教育の場でもその特性を活かしたカリキュラムが組まれている事例がある。そこで、委員らと話をする際にとくに強調したのが、在日同胞の特殊性である。

 第1に、過去の植民地政策により意に反して渡日し、祖国解放後も加害国によってその子孫がいまだに差別と弾圧の対象となっているということ。

 第2に、外国人登録法、出入国管理および難民認定法、破壊活動防止法などの弾圧的な法制度が存在すること(とくに今回、20日のNGO会議と21日の審査日に、公安調査庁による外国人登録原票不当入手事件について報告した)。

 第3に、「差別、偏見はすぐになくならない」という怠慢かつごう慢な日本の社会風潮、政府による適切な是正措置が欠落していることによって日本社会に温存されている、差別発言、就職差別、入居差別などの社会的差別。

 第4に、在日同胞に対する差別と弾圧政策は、日本政府の他民族、他文化への不寛容、排他主義と相まって、朝鮮語で授業をし、朝鮮人として生きる誇りを育む朝鮮学校に対する政策に顕著に表れていること。

 第5に、在日同胞への処遇は、過去の過ちに対する認識不足と日本社会の排他的な風潮からくるもので、これは過去の植民地政策に対する補償の必要性という観点からも、社会権規約締約国として明らかに不当な差別であり、即刻是正されなければならないこと。

 以上について説明しながら、とくに朝鮮学校に関しては植民地政策被害者に対する原状回復の1つとして日本政府が取り組むべき問題だと強調。朝鮮学校はその他のマイノリティー学校と同一視できない特別な存在であり、過去に奪われた言葉や名前を取り戻すため設立した朝鮮学校への公的補助は、日本政府の道義的責任だと訴えた。

 さらに、公的補助の不足による経済的負担により、同胞父母が子どもを日本学校へ通わさせざるを得ない状況、公教育の場での徹底的な朝鮮語、朝鮮文化教育の不足のため、子どもを日本学校へ通わせた場合、自らの文化の享受を妨げられることについても話した。

 また朝鮮学校の学制、カリキュラムが日本の教育制度に沿ったものであり、日本の公私立大学の過半数が朝高卒業生の受験資格を認めていること、日本弁護士連合会も日本政府に差別是正を勧告したことなども伝えた。

 第1点目、在日同胞の歴史的経緯と同胞が被った不当な差別と排除について、多くの委員が認識してくれた。審査ではとくに、元「従軍慰安婦」への認識と補償の話が幅広く取り上げられた。日本政府は「村山談話」、「アジア女性基金」の説明という常套手段を使ったが、委員たちは基金が政府のお金ではないことを承知で、その姿勢と意向について問いただした。歴史をわい曲した「教科書問題」も取り上げられ、過去を隠ぺいしようとする日本政府の不誠実さが、先にあった人権小委員会に続いて批判された。

 第2点目に関しては、何の罪もない者に対する不当調査はプライバシーの侵害であると同時に個人の尊厳を脅かすものであり、破防法の適用は朝鮮人に対する不必要で危険極まりない管理体制だと、本来社会権では扱わない問題ではあるものの、委員たちは大きな関心を示した。第3点目でも、政府による差別是正のための対策は取られているのか、何もしていないので暴言、暴行のような事件が後を絶たないのではないかと厳しい口調での指摘があった。

 日本政府は差別の禁止と平等原則に対する見解を述べる際、「合理的区別」という言葉を繰り返した。諸事情から外国人に対する「合理的区別」は容認されるべきで、合理的な理由にもとづく外国人と国民との区別は差別ではないとのことだったが、合理的理由とは一体どのような理由でどのような状況を指すのかという委員からの質問に対しては、十分な説明がなかった。

 朝鮮学校への質問に対する答弁は、1965年の文部省事務次官通達の趣旨(日本社会にとって積極的な意義を有しないので認可しない)と何ら変わりないものに感じられた。日本政府代表は、朝鮮人も望むならば差別することなく日本の公立学校への入学を許可しており、朝鮮文化の享受は朝鮮学校へ通えば可能だと述べた。また、現在日本には65の言語的マイノリティーが存在し、その中で特定の言語を公教育に取り入れるのはバランスを考えると不可能だと言い切った。

 これらの主張を通じて、日本政府がいかに他文化に不寛容なのかが明らかになった。委員たちも多文化、多言語所有者への理解、配慮がまるで見られない発言に驚いていた。差別の禁止の条項で外国人、他民族への不寛容さを非難された直後にこのような排他的なことしか言えないとは、日本政府の本心を垣間見た思いがした。

 また、朝鮮学校の存在と意義をまるで考えていないことも明らかだ。他の言語、他の外国人学校と朝鮮学校をためらいもなく同じ枠にはめ込んでいる。つまり朝鮮学校との関係において、加害国である自らの道義的責任に対する認識も、当事者としての責任感もないということがここでも露呈した形になった。

 今回の審査では日本政府の排除と弾圧、また違いに対して不寛容な政策が改めて浮き彫りになった。グローバル化が進む現代、偏狭な自己中心主義に陥ることなく、他者への配慮と違いを尊重することが平和共生への第一歩だと思う。日本政府の答弁は、このような世界のすう勢に逆らうものだ。日本政府は、私たち在日同胞の苦痛に満ちた歴史と心の叫び、いや存在自体を見ようともしない。しかし、世界の人たちは私たちを認知し、正義なる審判を下したのだ。

 今回の勧告はもちろん、1998年の子どもの権利委員会以来の数々の勧告にもかかわらず、朝鮮学校とその生徒、学父母の不利益が解消されるどころか、日本政府が65年通達の姿勢を一向に崩そうとしていないことに注目すべきだ。

 また今回、民族教育の正当性が改めて確認されたが、それゆえに私たち当事者としては、さらなる教育の発展と充実、改善も必要だと思った。そして今後いっそう、良心的な日本市民や同じような差別を受けている外国人と連帯し、日本政府への働きかけを強めていかなくてはならない。

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