現場から−徐子連(川崎高麗長寿会事務局次長・65)
1世の集う「場」生活に新しい風吹き込む
無年金の同胞救う全国的な運動を
神奈川県川崎市に住む同胞高齢者のための活動を始めて2年がたちました。この間、川崎では1999年6月に川崎高麗長寿会(盧垠会長)が結成され、同胞高齢者の親ぼくと交流をはかっています。同長寿会は、翌年の2000年5月には健康促進のための文化活動を行う「ソロトプチャ高麗」を、8月には訪問介護を行う居宅サービス事業所「フレンド高麗」を立ち上げ、活動の充実をはかっています。私は長寿会の事務局次長、フレンド高麗の代表として働いています。
なかでも好評なのは、「ソロトプチャ」の活動として毎週開かれるソシアルダンス、歌の練習です。ダンスは長寿会のメンバーが講師。マンボやジルバ…。次の週までステップを覚えているかどうかは怪しいところですが、皆が楽しんでいます。 朝鮮の歌もたくさん習いました。6.15共同宣言が発表されたその月は「われらの願い」を、また「故郷の春」「荒城の跡」「涙で濡れた豆満江」など、祖国光復以前の歌を懐かしんで歌っています。その生き生きとした表情を見ると、歌や踊りが彼らの心を開かせ、生活に新しい風を吹き込んでいるんだと実感します。 ◇ ◇ 川崎といえば帰国運動の発祥地として全国に名を轟かせたように、民族心の強い気骨のある1世がたくさん住んでいます。しかし、愛国運動の一線で活躍した彼らも高齢化とともに支部、分会から足が遠のきました。高麗長寿会の結成によって再び集まる「場」ができたのです。 30年ぶりに会った人、行方がわからなかった人、総聯と民団…。長寿会は地域の同胞をつなぐ「場」になっています。毎回30人ほどの1世が集まるのも、誰かに会えるという楽しみからではないでしょうか。 介護事業にも携わっていますが、私がすべきことは高齢者の話を聞くことだと思っています。とくに女性は封建、儒教制度の中でがんじがらめにされ、胸に深い傷を負っています。あるハルモニは、訪ねて3ヵ月目に涙を流しながら自分の過去を話してくれました。おそらく、「恨」を吐き出す場所がどこにもなかったのでしょう。話すことで少しでも気持ちが楽になれば、と思っています。 ◇ ◇ しかしながら痛感するのは、1世が置かれた生活状況のひどさです。川崎市には65歳以上の同胞高齢者が1000人住んでいると言いますが、無年金状態の同胞が多く、1人暮らしも多い。 市は無年金高齢者に月額2万1500円の福祉金を支給しています。この額は、全国の自治体の中では高い水準ですが、介護保険料や病気の治療費ですべて消えてしまいます。その他の生活費は、息子や娘が工面することになりますが、この不況の中、今後それもどうなるかわかりません。子供に負担をかけている、と自分を責める1世の姿を見ると本当に胸が痛みます。 植民地支配により、異郷の地で住むことを余儀なくされた1世。しかし、その苦難を強いた日本政府は、彼らから穏やかな晩年を奪っているのです。 無年金状態の同胞高齢者の救済措置を求める運動は、総聯支部や長寿会でも力を入れていますが、この運動はどこか数ヵ所が動くだけでは解決が難しい問題です。政令指定都市、もしくは全国の都道府県が一斉に声を上げ、日本政府に救済措置を求める必要があります。 高齢者問題は高齢者やその家族だけの問題ではありません。世代、主義主張を越え、同胞の団結した力で取り組んでいかねばなりません。 |