取材ノート

日本政府が気づく日は?


 和解なきたたかいを続ける――。8月9日、愛知県名古屋市内で開かれた「朝鮮民主主義人民共和国の戦争被害者に思いを馳せ、心に刻む名古屋集会」の打ち上げの席で、7日の大阪集会を終えてかけつけた上杉聰集会事務局長はこう述べた。

 本来ならこの日の集会と前日の8日に行われた「『半田への強制連行』を語るつどい」には、同県半田市の「中島飛行機半田製作所」に強制連行された崔★(广に異)天さん(78、咸鏡南道)ら三人の朝鮮在住の強制連行、「従軍慰安婦」被害者が出席する予定だった。

 しかし、開催前の3日に日本政府が不当にも入国を拒否。上杉事務局長が言う「和解なきたたかい」の相手とは、その日本政府だ。

 「日本は本当におかしいよ」と次々と批判、怒りの声があがる。

 その中で、同じく大阪から来た集会事務局の六田みちこさんは、幾度も涙を流していた。拭っても拭っても涙がほおをつたう。胸がひどく締め付けられるような思いだった。

 7月に訪朝し、元「従軍慰安婦」のハルモニと対面している六田さんは、「もう一度、彼女の背中をさすってあげたかった」とまた涙を流す。「平壌で、皆がどういう思いで入国不許可の知らせを聞いたのか。それを思うとたまらない」。六田さんは3日以降、毎晩泣き通しだったという。

 聞くと、来日を予定していた被害者らは、居住地から何日もかけて平壌入りし、日本政府から入国許可がおりる日を待っていたのだという。老齢なうえ、日本軍の拷問で体が不自由になっている被害者たち。痛む体をおしてまで、恨(ハン)多き日本での証言を決意していた。

 市民たちの怒りと悲しみは大きい。いまだ戦後補償と謝罪をせぬまま、被害者の入国までも拒否したことが、どれほど正義とモラルに欠ける行為かを、日本政府が認識できる日はくるのだろうか。(順)

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