ウリ民族の姓氏−その由来と現在(2)

はじめに(続)

忘れてはならぬ「創氏改名」

朴春日


 朝鮮の姓氏とその歴史を見て行くうえで、どうしても触れなければならない忌まわしい事実がある。

 それは軍国日本が1939年11月、いわゆる「皇民化」政策の一環として、全朝鮮人に強制した「創氏改名」の暴挙であるが、これはまさに前代未聞の民族抹殺策動であった。

 周知のように、中日戦争を挑発した日本軍閥は、朝鮮半島を大陸侵略の兵站(たん)基地に変え、朝鮮の人的・物的資源の収奪に狂い立った。

 彼らは朝鮮人に対する徴兵・徴用・徴発をいっそう露骨化し、朝鮮語の教育と使用禁止、「皇国臣民ノ誓ヒ」斉唱と「宮城遥拝」、「日の丸」掲揚と「国民服・戦闘帽着用」など、遮二無二「皇民化」政策を強行した。そして「最も暴悪な朝鮮総督」と憎悪された南次郎が「創氏改名」策動の先頭に立ったのである。

 これに対して、朝鮮民族の憤怒が爆発したのはいうまでもない。彼らは1940年2月11日実施の「創氏改名」令に猛反対し、これを断固拒絶するか、無視した。

 それに逆上した南は日本憲兵と警察を総動員し、「創氏改名」の拒絶者を「不逞(てい)鮮人」呼ばわりして脅迫と監視をつづけ、彼らに対する食糧と生活物資の配給停止、職場と学校からの追放、そして行政・郵便・旅行事務の取り扱い停止など、卑劣きわまる暴圧をあえてした。

 そればかりか南は、「創氏改名」拒絶者の子女に対して、日本人教員が殴る蹴るの暴行を加え、その子女が両親に「創氏改名」を哀訴するようにまで仕向けたのである。

 「僕は名前を無くしてしまう。僕らはみんな名前が無くなってしまうんだ」(金恩國著「名を喪って」)と嘆いた少年の悲しみは、在日1世にとっても生涯忘れることのできない「恨(ハン)」となったであろう。

 しかし、こうした軍国日本の暴圧にも屈せず、ついに死に至った同胞も少なくない。また、是が非でも生き延びようと、ねばり強く抵抗した同胞たちも数多い。

 たとえば、金氏は「金本」「金原」など、また李氏は「李家」、「氏が「「井」、呉氏が「呉山」、朱氏が「朱川」、張氏が「張本」といった形で自分の姓を残しており、平山、星山、京山、玉川、水原などは、自分の本貫をそのまま姓にした実例である。

 さらに、自分の始祖伝説や縁故地と関連させ、唐州朴氏が始祖・朴赫居世と慶州の鶏林を結びつけて「神林」、清州韓氏が清州の古名から「西原」、坡平尹氏が龍淵の沼沢から「平沼」、韓山李氏が牧隠(李穡=リセク)の子孫であるところから「牧山」と称したりしている。

 笑えない珍談もあった。仁川李氏が「李」の字を分けて「木子」とし、全氏がこれまた同様に「人王」としたところ、これは日本当局が許可しなかったという。

 このように軍国日本が強要した「創氏改名」は、いまなお在日同胞の身の上に陰を落としており、その傷痕は新たな民族差別とともにうずいているのである。(パク・チュンイル、歴史評論家)

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