第5次総聯同胞故郷訪問団(14〜19日)
これまでの人生に誇りと満足
統一だけを願い半世紀かけて帰ってきた道
第5次総聯同胞故郷訪問団(14〜19日)の団員たちは、生まれ故郷や家族、親族を訪ね、思い思いの時を過ごした。いくつかを拾ってみる。(盧英男、韓東賢記者) 待っていた103歳のオモニ 長生きしてくれてよかった 「間に合わないかもしれない。取材は遠慮してくれないか」 ソウルのホテルで寂しそうに言っていた金東玉さん(71、東京・江戸川区在住)から、弾んだ声で取材依頼の連絡が入った。寝たきりで危篤状態だった103歳のオモニ(母)がなんとか持ち直し、53年ぶりに帰ってきた息子のかける言葉に反応したという。 済州道の北部、済州市の中心部からの東側のはずれの方にある海辺の町、三陽洞にある弟さんの家にかけつけると、2人の弟、3人の妹をはじめ30人以上の親せきが集まり、みんなで楽しい宴の真っ最中だった。 オモニは奥の部屋に寝ていた。金さんが、「オモニ」と優しく声をかけながら重湯を口に入れると、少し笑ったような顔をしながらそれを飲み込んだ。 「オモニが健康な時に来なくてはいけなかったのに悪かった」と金さんが涙ぐむと、弟たちは「いや、事情は分かっている。生きているうちに来られてよかった」と慰める。 「ヒョンニム(兄さん)が日本に行ってなかったら、家族がみんな殺されていた。うちの親せきだけでも何人死んだか」 南朝鮮単独選挙に反対して島民が立ち上がり、激しい弾圧を受けた1948年の済州島4.3蜂起の時、金さんは渡日した。19歳だった。 「オモニが長生きしてよかった。時代が変わって本当によかった」と弟や妹、親せきたちは口々に言った。 その日の夕食には、今も現役の海女である末の妹さんが採ってきた新鮮なウニの入ったスープが並んでいた。 初めて会う父と息子 この日のためにがんばってきた 玄文昌さん(76、岩手・盛岡市在住)は、故郷の済州道北済州郡・咸徳を54年ぶりに訪れた。やはり玄さんも、4.3蜂起の前、単独選挙反対のたたかいに参加したことで、渡日を余儀なくされたのだ。残していった妻はもういないが、その時、妻のお腹の中にいた息子と今回、初めて会った。 「あまりにもうれしくて、口では言い表せない。自分にも父親がいるんだということを初めて実感できた」と話す息子のウィソンさん。「国を統一させて一日も早く故郷に来ようと、これまで総聯の活動をがんばってきた。そして昨年6.15があって、故郷にこうして来ることができ、息子や2人の弟にも会えた。ちょうど北南閣僚級会談もやっていることだし、今後、どんどん情勢はよくなるだろう。もう統一への道は始まっている」と玄さん。 訪問団が故郷を訪れたのはまた、ちょうど「ポルチョ(伐草)」の時期だった。ポルチョとは、暑さも落ち着く初秋の9月半ば頃、親族が揃って先祖の墓地を回り、夏の暑い盛りに生い茂った雑草を刈り取ってきれいにする朝鮮半島の風習である。玄さんの父は4.3蜂起の時の弾圧で虐殺された。今回、初めて墓参の夢がかなうことになったが、それがちょうどポルチョの日と重なり、より意義深いものとなった。 玄一族との待ち合わせは朝7時半。曽祖父母、祖父母、伯父母、叔父母…、10数ヵ所の墓地を回るのは1日がかりだ。最近は機械も使うが、鎌を手に、一族総出の草刈りは延々と続く。玄さんは行く先々できれいになったお墓の先祖や両親、親せきにあいさつして回った。「ただいま帰りました」。 昼ご飯もみんなで外で食べる。親族みんなと青空の下で食べる故郷の味。玄さんにとって忘れられない味になったはずだ。 5人姉弟が一堂に 6.15なければ想像もできない 訪問団が到着したその日のソウル・ヒルトンホテル。 「ヌナ(姉さん)!」 弟のインスルさん(70)が駆け寄る。足が不自由なため車椅子でやって来た尹念昊さん(78、茨城・北茨城郡在住)と、実に61年ぶりの対面だ。翌日、故郷の釜山に向かう列車の中で尹さんは、小さい頃遊んだ山、近所に住んでいた友達、親せき…、昔のことを1つ1つ思い出しながら弟に尋ねていた。 釜山駅に到着し、改札口を出ると、姉のニョムジョルさん(84)が出迎えに来ていた。ここでもまた涙の抱擁だ。 18歳の時、故郷で結婚した尹さんは1940年、生活のため、夫と共に日本に渡った。祖国解放までは宇都宮の炭鉱で、解放後は茨城で古物商をしながら生計を立ててきた。一方で、祖国が統一して故郷の土を踏む日が来るのを願いながら、女性同盟の活動に従事してきた。 尹さんは「生きているうちに5人きょうだい全員がこうして1つの場で会えるなんて、6.15共同宣言が発表されなければ想像もできなかった。本当にありがたい」と話す。 親せきたちが設けた歓迎宴の場には、孫やひ孫をはじめ20人以上が待っていた。休むまもなくあいさつを受ける尹さんの顔には、涙ではなく、これまでの人生に対する誇りと満足の笑みが浮かんでいた。 |