強制労働中に震災
総聯鳥取県本部 同胞犠牲者を追悼
総聯鳥取県本部は民団鳥取地方本部とともに10日、日本の植民地時代、岩美鉱山(同県岩美郡岩美町)で強制労働に従事させられ、1943年9月10日の鳥取地震で犠牲になった朝鮮人労働者を追悼する集いを開いた。
総聯県本部では昨年の6.15共同宣言発表後、民団側と追悼の集いを行うことで合意。今回の追悼の集いは昨年に続き2回目。 両団体傘下の同胞ら40余人が参加し、岩美町の榎本武利町長、県総務部国際課の野間田憲昭課長らが来ひんとして訪れた。追悼の集いでは、榎本町長があいさつし、過去の歴史について関心を持ち、ここに眠っている人々を追悼すると述べた。 岩美鉱山には戦時中、多くの朝鮮人が従事した。当時の就業規則によると、日本人労働者の労働時間は朝8時から夕方5時までだったが、朝鮮人の場合、早朝6時半からの12時間労働だったという。 43年9月10日に発生した震災は、マグニチュード7.4、震度6の直下型地震。この地震で岩美鉱業所のダムが崩壊し、その下にあった朝鮮人労働者の飯場が瞬時に埋まり、日本人37人、朝鮮人27人が死亡した。解放後、朝・日による真相究明合同調査を実施したが、その過程で48年に鉱山を管理していた日本鉱業株式会社が犠牲者を追悼する意味で「供養塔」を建立。 また、72年には「岩美鉱山の日本人および朝鮮人の遺骨を発掘する会」が総聯と日本人が中心になって発足された。90年に同胞1人の遺骨を発掘し故郷に送った。 |