白頭山のナゾ?

年輪から巨大噴火年代を探る

奈良国立文化財研究所埋蔵文化財センター研究室長 光谷拓実


神の山、民族の象徴

谷と谷を流れ下った火砕流

 白頭山は朝鮮と中国東北部との国境に位置し、頂上には青い水を満々とたたえた天池(チョンジ)という美しいカルデラ湖を持つ。この山は、玄武岩の溶岩台地の上にそびえたつ成層火山で、中国名では長白山という。その最高峰は、南側のカルデラ縁にある将軍峰で、高さは2750メートルある。白頭山は、金剛山と同様に朝鮮の代表的な名山である。朝鮮や中国東北部の人々にとっては、一生のあいだに1度は登ってみたいという、特別の山であり、日本の富士山以上に象徴的な存在である。しかし、山容は全く対照的で、富士山が独立峰であるのに対し、白頭山は際立った独立峰がなく、裾野から山頂にむけて、なだらかな緩斜面が続くため、麓からはあまり目立たない。

 現在は、自動車で山頂付近まで簡単に行くことができるため、多くの観光客で賑わっている。日本からは遠く、日本人でここまで行く人はほとんどいないと聞く。

1000年前の大噴火

天池にて(中国側)
火砕流堆積物中から炭化樹幹を採取

 天池は北緯42度付近にあり、日本の北海道駒ケ岳とほぼ同緯度である。このカルデラ湖は、標高2190メートルの高さにあって、直径が4キロメートル、水深は385メートルと深い。

 このカルデラ湖は、約1000年前の巨大噴火によって誕生した。その噴火規模は、町田洋・東京都立大学名誉教授(火山地質学)の研究によると、世界的にみて過去2000年間のあいだでは1815年のタンボラ火山(インドネシア)の噴火に次ぐ大規模なものであったという。タンボラ火山の巨大噴火では、火砕流の直撃や津波などで10万人もの尊い命が失われた。この白頭山の巨大噴火でも、当時周辺に住んでいた人々に莫大な被害を与えたことは想像に難くない。この巨大噴火で放出された降下軽石は、広範囲に及び、峰々の多くはほとんど軽石に覆われてしまった。白頭山という名前もこのあたりから来ているのであろう。

 青森県や秋田県下の平安時代の地層では、十和田山の大噴火による火山灰層「十和田a」が広く発見されている。さらに、この火山灰層の上にのるもう1枚の火山灰層がしばしば確認されている。これを町田教授は白頭山起源の火山灰と断定した。20年前のことである。

 最新の研究によって、その火山灰は白頭山からはるか日本海を越え、東北北部〜北海道南部にかけて降灰していることが明らかにされたのである。この火山灰は、放射性炭素年代測定法やこの地域の平安時代(10世紀)の遺跡の発掘調査などで発見されることからほぼ1000年前のものと考えられている。町田教授は、この大噴火が古代日本とつながりの深い「渤海国」(698〜926年)の衰退原因ではないかと見ている1人である。

誤差ない年輪年代法

カルデラ湖北側から流れ落ちる滝

 現在、世界的に見てもっとも信頼できる年代測定法は樹木年輪を使った年輪年代法である。これは、毎年1層形成される年輪幅の変動変化(年輪パターン)を利用したもので、プラス、マイナス何年といった誤差のない高精度の年代法である。

 奈良文化財研究所では、1980年からこの研究を開始し、1985年には実用化にこぎつけた。日本での主要樹種はヒノキ、スギ、コウヤマキ、ヒバの4種類である。

 年輪年代法の基本は、長期の標準となる年輪パターン(暦年標準パターンという)を前もって作成しておかなければならない。これが準備できると、年代不明木材の年輪パターンと照合し、合致する年代部分を見つけ出すことによって、木材の伐採年や枯死年代が実年で確定できる。これが原理である。日本では、ヒノキ、スギともに約3000年間の標準パターンが作成済みである。

長白カラマツと青森のヒバ

 その後、町田教授の白頭山に対する熱い思いを聞くにつけ、巨大噴火年代解明に向けて、これこそ年輪年代法の出番と思った。1993年、1994年と2年にわたって、町田教授とともに現地に赴き、中国側での年輪年代法に適した樹種の選定と、火砕流堆積物中から炭化樹幹の採取をおこなった。

 まず、実年代を割り出すにあたっては次の3項目を視野に入れて、調査を開始した。

 @年輪年代法に適した樹種を見つけ出すこと。

 A年代を割り出す際に基準となる長期の暦年標準パターンを作成すること。

 B年輪年代法に適した樹種の炭化樹幹を火砕流から見つけ出し、標準年輪パターンを作成すること。

 @の検討結果から、長白カラマツが年輪年代法に適用できる樹種であることを確認した。

 ところが、この樹種の樹齢は150〜160年前後と短い。これをさらに過去に延長するには、各時代の古建築部材などの試料が必要であるが、その入手はきわめて難しい。つまり、中国側ではAの作成が困難であることがわかった。

 そこで、考えたのが日本側の樹木年輪と合致するものがあるのかどうかの検討であった。白頭山から直線距離にして約1100キロメートル離れた青森県下北半島産のヒバの標準パターンと長白カラマツの年輪パターンとを照合したところ、ピッタリ一致することが判明した。このことは、火砕流堆積物中の長白カラマツの炭化樹幹の年輪パターンに、青森県下のヒバで作成可能な暦年標準パターンを使って、実年代が確定できるという見通しが得られたのである。現在、ヒバの暦年標準パターンの作成状況は924〜1325年までのものができている。巨大噴火は10世紀頃といわれているので、今後ヒバの暦年標準パターンの先端をさらに7世紀あたりまで延長する作業が急務である。

 続いて、長白カラマツの炭化樹幹の年輪を使って、379年分の暦年の確定していない年輪パターンを作成している。今後、さらに炭化樹幹の試料数を増やし、標準パターンを作成することが重要である。こうして作成した標準パターンに暦年が確定すれば、白頭山の巨大噴火の年代が実年で語られるようになる。また、巨大噴火の季節は採取した炭化樹幹の最外年輪の木材組織観察から冬〜早春にかけての時期と判明し、日本まで飛来した謎は解けた。現時点では、十和田a火山灰の降下年代は古記録から915年と推定されている。つまり、白頭山の巨大噴火は、915年以降というところまでは、日本側で突き止められている。ちなみに、十和田a火山灰に埋まった埋没家屋の板材の伐採年は912年と確定し、物証的にもほぼ記録と一致した。このように、巨大噴火の年代はかなり明らかになってきた。近い将来、実年代が確定すれば、巨大噴火が渤海滅亡に決定的な影響を与えたかどうかが判明する。さらに、日本側では、白頭山起源の火山灰に実年代がつくことになり、遺跡の年代を決めるうえで有効となる。その波及効果は日本ばかりでなく、北朝鮮、中国、ロシアの考古学にとっても意義深いものとなる。この瞬間を夢見ながら年輪を測り続ける毎日である。

ミッシング・リンクに光明

朝鮮の代表団と話す光谷さん(奈文研で、2001年7月)

 奈良国立文化財研究所埋蔵文化財センターの光谷拓実・古環境研究室長(京都大学大学院人間・環境学客員教授)は、昨年7月日本画家の平山郁夫さん夫妻の招きで滞日中の朝鮮展覧会参観代表団(団長=李柱伯文化省文化保存管理局長)一行が、同研究所を訪ねた際、交流を深めた。

 光谷氏は、檜など樹木年輪年代法の第一人者である。同氏が現在、情熱的に取り組んでいるのが10世紀の白頭山大噴火の実年代の解明である。これまで、何度も中国側から白頭山を踏査し、研究を重ねてきた。その結果「近い将来、白頭山の噴火年が特定できるところまでこぎつけた」。しかし、解明のカギを握るのはやはり、共和国側から白頭山を調査することだと訴えた。これに対し李団長は、「白頭山の噴火年の研究はわが国にとっても重要。いつでも来てほしい」と応じた。

 竹取物語にも出てくる貂(てん)の毛皮は、実は渤海から輸入されたもの。平安朝と渤海の盛んな交流はあまりにも有名。しかし、この安定した政治と高い文化を誇った「海東盛国(かいとうのせいこく)」・渤海がなぜ、滅亡したのかは今も深いナゾに包まれている。その歴史のミッシング・リンクを埋めるためにも、白頭山の大噴火年が確定されればその意義は大きい。(粉)

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