ウリ民族の姓氏−その由来と現在(32)

宰相を多く輩出した坡平尹氏

種類と由来(19)

朴春日


 尹氏と安氏は著姓に属するが、「10大姓」の前後に位置し、その氏族は数多い。

 まず尹氏。本貫数は149で、その代表格は坡平(パピョン)尹氏だ。坡平は京畿道坡州の別称で、始祖は高麗の開国功臣・尹★(草かんむりに辛)達(ユン・シンダル)である。

 この門閥は、多くの宰相や文武の人材を輩出したが、名将・尹クワン(ユン・クワン)は尹シンダルのひ孫。馬術・弓術・剣術で、彼の右に出る者はいなかったという。とくに女真族との戦いで収めた勝利は有名だ。

 また時代は下るが、第7次朝鮮通信使の正使・尹趾完(ユン・ジワン)は、この氏族の出である。

 海平尹氏の始祖・尹君正は、高麗・仁宗王のとき、侍中職にあった尹シンスンの後孫だ。また第5次朝鮮通信使の正使・尹順之は、この氏族の出身である。

 南原尹氏の始祖・尹威は、先の尹クワンのひ孫にあたり、湖南(ホナム)の地方官を務めて南原君に封じられた。

 野城(盈徳=ヨンドク)尹氏の始祖・尹赫は、高麗・忠粛王の婿となるが、その子孫は盈徳を本貫とした。

 海南尹氏の始祖は尹存富で、わが国固有の定型詩「詩調(シジョ)の大家」と評された尹善道は、この氏族の出である。

 そのほか主な本貫と始祖を列挙すると、漆原(チルウォン)・尹始栄、咸安・尹敦、海州・尹重富、茂松・尹良庇、醴泉・尹忠、楊州・尹崇、永川・尹務、竹山・尹梃華などである。

 つぎに安氏である。本貫数は109で、その祖先は開城の松岳山に発しているという。
 9世紀の初め、その松岳山の麓に、武芸で秀でた李姓の枝春、葉春、花春という3兄弟が住んでいた。ある年、倭寇(わこう)が侵犯したとき、彼ら3兄弟は決然と武器をとり、勇猛果敢に戦って大きな勝利を勝ち取った。

 そこで時の王は、彼らを讃えて表彰し、祖国の平安を守った勲功で「安」姓を下賜した。そして枝春を「邦俊」と改名して竹城君に、葉春を「邦傑」と改めて広州君に、花春を「邦侠」に改めて竹州君に封じたという。

 こうして安氏が誕生したが、一部の古文献は、松岳山麓の李氏が唐の王族であったと記している。しかし、これも例のごとく根拠のない後世の付会であって、何かと祖先を中国と結びつける事大病の悪弊でしかない。

 主な安氏は、3兄弟の末弟・安邦侠の7世孫・安令儀を始祖とする竹山安氏、次男・安邦傑の9世孫・安子美を始祖とする順興安氏をはじめ、広州・安綏(アン・タ)、安山・安子由、洞州・安紹光、安康・安方粲である。

 李朝絵画の礎を築いた安堅(アン・ギョン)は、池谷安氏の出身だが、安氏のほとんどは、先の3兄弟から分かれ出た氏族と見てよいだろう。最後に、帝国日本の頭目を倒した安重根義士は、黄海道・海州の出身である。

 つぎは王氏である。(パク・チュンイル、歴史評論家)

日本語版TOPページ

 

会談の関連記事