東アジアの新地平2002 変革に向けて(1)

自分の目で見た南北朝鮮

ピースボート南北コリアクルーズに参加  金澤亮二さん


 金澤亮二さん(22)は去年の8月27日〜9月8日まで行われたピースボート第34回南北コリアクルーズに参加し、南北朝鮮を訪問した。

 出発の前、大学の友人らに「北では気をつけろ」といわれ、日本での朝鮮報道があまりに偏っていることを痛感した。そういう言葉を聞けば聞くほど、自分の目で見ればメディアで流されている北の姿とは違う面を発見できると思った。

初めての平壌

元スピードスケート選手韓弼花さんとの感動的な出会い

 旅立ちの2日前、心に大きなものがのしかかってきた。彼は幼い頃から日本人の中で暮らし、日本の学校に通った。しかし曽祖父の時代、日本国籍に「帰化」した在日4世なのだ。家庭での食事や毎年行う祭祀を通じて、自分の体に流れる「血」を常に意識して育った。その事実を現地で告白するか、しまいか、悩んだ。

 「家族にも言わない方が良いといわれました。現地に入っても悩み続けました」

 平壌では市民の家を訪ねる企画が設けられ、金澤さんは韓弼花さん(=ハン・ピルファ、元スピードスケート選手、72年札幌冬季オリンピック時に来日)の家へ訪問することになった。直前まで迷ったが、家に入った瞬間決断したという。

 「玄関に入った瞬間、とても懐かしい匂いがしたんです。ハルベ、ハンメの家とまったく同じ匂いです。その時自分の素性を告白しよう、そうしないと後悔すると思ったんです」

 金澤さんの話を聞いた韓弼花さんは「あなたが家に入ってきた時同胞だと言う事がすぐわかった。国籍は違っても私とあなたには同じ血が流れている。朝鮮人としての誇りを忘れないで」と温かい言葉をかけてくれた。

 「もしかしたら、裏切り者よばわりされるかもしれないと、いらぬ心配までした。韓弼花さんと出会えて本当によかった」と顔をほころばせた。

1番悲しい目

金順徳ハルモニと

 南で印象深かったことは元日本軍の「従軍慰安婦」を強いられたハルモニたちとの出会いだ。

 「ナヌムの家」で金順徳ハルモニから過去の辛い経験を聞いた。「苦痛がそのまま瞳に映し出されていました。いままで僕が出会った人の中で1番悲しい目でした」

 経験談を聞いた後は交流会が設けられた。ハルモニたちの表情もがらっと変わり、陽気に歌を歌ってメンバーを歓迎した。

 金澤さんは翌日に行われた水曜集会にも参加した。ハルモニたちがバスから降りて日本大使館に向かうと機動隊が現れバリケードをつくった。ハルモニたちは泣きながら、ジュラルミンの盾を蹴ったり殴ったりして、日本政府に謝罪を求める声をあげた。「本来なら穏やかに暮したいはず。辛い記憶を掘り起こし、デモに参加しているハルモニの気持ちを考えるとやりきれなかった。日本大使館を守っている機動隊員は韓国人。機動隊の中に自分のハルモニがそういった経験をしている人もいるかもしれない。何という悲劇かと思った」。

 その時の水曜集会は475回目。500回目には何人かのハルモニは亡くなっているかもしれない。そんなハルモニたちを門前払いする日本大使館の態度に激しい憤りを感じた。

経験をバネに

 現在金澤さんは、今回のクルーズの間、船上で立ちあがった「東アジア共通歴史教材を作ろう」プロジェクトに参加している。昨年9月27日、下船後第1回ミーティングが行われ、水先案内人として乗船していた日本ドイツ研究所のニコラ・クリスティンさんらを含む25人が集まった。今年中には、本格的な教材を完成させたいと言う。

 「今日本に住む若者たちは日本の過去を厳しく見つめる姿勢が足りない。良いことは良い、悪いことは悪いと判断できない。中高生たちが間違った歴史認識を持つ事は、将来に禍根を残すことになり、本当に怖いことだと思う」

 在日朝鮮人の苦難の歩みも日本の近代史に深い関わりがある。金澤さんは曽祖父から始まった日本での家族史を心に刻みながら、東アジアの若い世代との架け橋の役割を果たしたいと力を込めて語った。(金香清記者)

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